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湾岸地域のタワーマンションについて意見を集めるスレです。
耐震基準改正で高さ60メートル以上の高層建築には、長周期地震対策が義務化されます。
既存物件は…。
[スレ作成日時]2011-08-07 16:57:27
湾岸地域のタワーマンションについて意見を集めるスレです。
耐震基準改正で高さ60メートル以上の高層建築には、長周期地震対策が義務化されます。
既存物件は…。
[スレ作成日時]2011-08-07 16:57:27
6月時点の暫定基準値をこえる廃棄物を「大丈夫」という人が住む町
関東大震災といえば、
http://www.ads-network.co.jp/zatugaku/saigai-07.htm
が、役立ちそうね。
被害象
関東大震災の死者の多くは、火炎流による焼死者で、たった一箇所で死者3万8千人とも、4万4千人とも言われる焼死者を出したのが、当時の本所区横網町(現在の墨田区の一部)にあった本所区被服廠跡。2万430坪の敷地の中で火炎流にのみこまれて死亡したのです。また、上の表を見ると家屋の損害も、地震による倒壊よりも火災による焼失が圧倒的に多いのが分かります。つまり、火災被害が関東大震災の大きな特徴なのです。
そして、東京府の死者数7万人も、本所区被服廠跡の4万人をきわめて特異な例として考えれば、東京府の死者数は約3万人となり、神奈川県の方が死者数が多いのです。(神奈川県の死者も過半が焼死です。)
つまり、地震自体による建物倒壊や死者は、東京府ではなく、神奈川県の方が多かったのです。
全く異なる災害
関東大震災では、水道管が張り巡らされるなど、防火設備は江戸時代よりも進化していながら、江戸時代に防火のために設けられていた大通り(広小路)にも住宅を建て、水道管を過信し、むしろ退化した防災思想によって大火を招いてしまったとも考えられています。
そして、東京・横浜クラスの大都市の直下型地震の経験は世界広しといえども、どこにもありません。ロサンゼルス地震は、マグニチュード6.7、死者61名で参考にはなりません。
消防設備なども最近では防火水槽などが整備され、建物の不燃化と相まって、テレビが煽り立てているような火炎流や大規模火災の発生リスクは少ないでしょう。
しかし、大地震が起こったとき、新旧入り乱れた建物が混在し、未だに狭い道が入り組んでいる東京や横浜の都市部の弱さは消防設備の脆弱さではありません。
古い建物が倒壊して路地を塞ぎ、救急車や消火活動の妨げとなる活動障壁が至るところで出来、その結果孤立地帯が生まれるという、面ではなく細かな孤立点が点在する今まで全く違った被害が数多く発生するものと考えられます。
さらに高層ビルや深深度に巡らされた膨大なインフラ網を考えれば、もし、大地震がおこれば、私たちの想像を超えた予想外の被害が広がっているのかもしれません。
ポジさん、自宅を売却しようとイメージを落とさないよう必死なんですね。
環境省、境省、1kgあたり10万ベクレル以下の焼却灰は埋め立てを認める方針を各自治体に通知
2011年8月27日
「山津波」の恐怖後世へ、石碑守る関東大震災の犠牲者遺族ら/相模原
1923年9月1日の関東大震災で、16人の犠牲者を出した「山津波」を今に伝える石碑が、相模原市緑区鳥屋にひっそりと立っている。碑が立つ小高い地は「地震峠」の名を残すが、体験者の多くは鬼籍に入り、地域の記憶からも消えつつある。日本が再び大震災の恐怖を味わったことし、遺族たちは山あいの**を襲った88年前の災禍を風化させないよう思いを新たにしている。
旧津久井町教育委員会がまとめた資料によると、33人の犠牲者が出た津久井郡内で最も被害が大きかったのが、山の斜面が崩れ、9戸が埋まり、16人が死亡した鳥屋村(当時)の馬石地区だった。
14歳だった新井エツさん(102)は午前11時58分の発生時、家族で昼食を囲むところだった。「最初は小さな揺れだったけど止まらない。そのうち大きくなって、揺れる畳の上を転がって外に逃げた」
家から飛び出して近くの繭の作業場の方向を見ると、土煙が立ち込めている。山間地の住民が恐れる「山津波」だった。「水が流れるように山が押し寄せた。木が立ったまま、地面ごと動いてきた」。1人早く食事を済ませていた一番上の姉の中村カネさん=当時(19)=がその作業場にいた。
民家や畑が広がる一帯が一瞬のうちにのみ込まれた。「カネがつぶされた」。隣のおじさんから姉が埋まったことを聞いた。大量の土砂は麓を流れる串川をせき止めるほどだったという。青野原や串川など、近隣の村人が応援に来て、行方不明者の救出と湖のようにたまった水を排出する水路造りに当たった。姉の遺体は見つかるも、16人のうち8人は結局不明のまま。「家族が全滅した家もある」。確かな口ぶりで新井さんが振り返る。
余震の恐怖と食糧不足に悩みながら、屋外での避難生活。今回の震災は人ごとではなかった。生後間もなくだった新井さんの妹、中村波枝さん(88)は「小さいころから姉に山津波の怖さを聞かされた。3月11日のときも思わず家を飛び出して裏山が崩れてこないか見に行った」。記憶はしていなくとも、体に染み付いている。
小山のように堆積し、串川の流れを変えた土砂はいつしか地震峠と呼ばれるようになり、犠牲者の名前を刻んだ石碑が建てられた。しかし、最近では手を合わせる人もめっきり少なくなった。
「放っておけば森になって石碑の存在が忘れられてしまう。今も8人が眠るこの地だけは守りたい」。草木が生い茂り、碑に刻まれた犠牲者の名も判読が難しくなったが、近年は山津波で祖父と兄を亡くした鵜沼清さん(72)が息子とともに、数少ない参拝客のために草刈りや通路の整備を行っている。
新井さんの長女の節子さん(79)は「余震が続く中で、近隣の村の人たちが救出作業に協力してくれたのは、地域の絆が確かだったからこそ。山津波の恐ろしさと、当時の助け合いの精神を忘れないでほしい」と話している。
間違えた。23区スレに貼るネタじゃなかったです。失礼。
>ポジさん、自宅を売却しようとイメージを落とさないよう必死なんですね。
ネガさん、湾岸を購入しようと値段を下げるのに必死なんですね。
>484
>kgあたり10の3乗倍Bqの物体が数百万トンの意味わかる?10の14乗だよ?
正直、意味がわかりません。
計算間違いですか? 3+3+6(+1)=12(13)?
文末に?が付いているあたり、自信がないのでしょうか?(私も真似てつけておきます?)
#失礼ですが背水の陣と書かれた方ですか?
数百万トンあるかどうかについて:
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/landfill/central_breakwater/...
これを見るとそもそも年間百万トン未満のようです。
そもそも、その情報はどこの情報なのでしょうか?
空気による減衰について:
実際には物質そのものの減衰もありますが、先程も書きましたが、まずはこちらをお読みください。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/docs/BqToSv.pdf
と言っても、おそらく読まれることはない(大学1年生向けに書かれているそうですが)と思いますので、
P.11の例の一部を引用しますと、
>線源の強度を P = 10^17Bq = 10^17s^-1としよう。
17乗、それも秒あたりなので、すごいことですね。これだけの線量だと運びこむことすらできませんが、
p.12の結論
>空気の効果を入れた (3.5) で評価すると、2 km 離れた地点での線量率は ϵabs ≅ 4 × 10^−12 Sv/h となる。
>ピコシーベルト毎時のオーダーになり、これは自然放射線などよりも桁違いに小さな値である。
ちなみに、中央防波堤からマンションからは少なくとも3km離れていますから、安心ですね。
10メートルの津波なら虎ノ門あたりまでいくな。
もちろん湾岸は再起不能だろ。
心配だのう。
気の毒に。
湾内で津波起これば地下機械室が水没オシャカ。
倒れなくても数億単位の修繕費に悶絶。
経済力ある人からどんどん退去。
残された貧・・・・・・。
妬みなんですかねぇ。気の毒に。(笑)
大規模団地を妬む西側戸建住まいはいないと思う。
>戸建住まい
が、この掲示板みないと思うけれど。
お気の毒ね。
深い谷ほど山は高い。
相場には複雑に波が絡むから、短期的なもので一喜一憂しても意味がない。
とうの昔に終わったのは、零細西側戸建・低層賃貸不動産屋だろう。
5年前からジリ貧で下がり続けてる工業用埋立地を妬む? 笑 恥ずかしくないか?
あっちもこっちも湾岸超高層のご心配ありがとう。
よほどの理由があるのだろうね。
お気の毒。
一人で読んで楽しんだら?
お気の毒さま。