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マンション管理をしていく中で、困ったこと、聞きたいこと等をここで質問してみませんか。
マンション管理士、建築士、弁護士、宅建士、管理会社勤務の皆さん、理事の皆さん、
住民の皆さん等が質問に答えてくれると思います。
[スレ作成日時]2018-08-08 20:19:27
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マンション管理士、建築士、弁護士、宅建士、管理会社勤務の皆さん、理事の皆さん、
住民の皆さん等が質問に答えてくれると思います。
[スレ作成日時]2018-08-08 20:19:27
(2)総会における集会主義と直接民主主義と合意形成について考えてみる
「集会主義」という言葉は15598さんがレスを下さるより前で言えば、15570さんがこの場に出されていた言葉でもありますね。
(それ以前から既出でしたら、自分、未読で失礼をば。)
平たく平たく言ってしまうと、総会のその場で、理事会メンバーや監事に限らず、一般組合員「全員」からの視点によって、議案についての十分なチェックをすることが望ましいということでしょう。
本来は全員が出席することが望ましいわけです。
「集会主義」が根底にあるからこそ、(1)に例示した「マンション管理ノ教科書編集部」さんは、念には念を入れて、総会前に住民説明会を開いて討議してくれって言ってたくらいなわけでしょう。
決して、「じゃあ皆さん全員で議決権行使書を出しましょう」とはならないのですよ。
それは区分所有法で示されていると、15600さんがご指摘くださいました。
住民全戸が平等に情報共有して議論に参加することで、全員で住まいの管理を進めていくのが、「本来ならば」望ましい、つまり、直接民主主義に基づく合意形成によって進めましょうってことですね。
民主主義国家の現状としては直接民主主義は机上の空論だとしても理想とされています。そこで近年ではブロックチェーンによる投票なども模索されたりしていますね。(…ブロックチェーンは直接参加を可能にする画期的な方法だけど、それをしたからといって合意形成が保証されるわけではないので、まだまだ先は長い道のりっすよね~。)
もし、ごく小規模な集合住宅なら、全員が一堂に会するのはそれほど難しくないでしょう。
例えば、組合主催の夏祭りの夜、子供たちを中庭で遊ばせながら、大人たちはその傍らでビールなど飲みつつ、「これ、ちょっと話し合った方が良くないか?」と誰かが言い出し、「んだ!んだ!」となって全員の合意により、「じゃあ、この件で総会開こうか、みんな空いてるみたいだから明日の夜7時からエントランスのソファのところでどう?」みたいなノリも可能です。
昔の長屋の井戸端会議みたいなもんですわ。
でも、これをちゃんと「総会」として位置づけることは法的に認められているのです。
「区分所有法第36条・第37条」にあります。
このような場合は、総会開催手続きを踏んで議題を決め、議案書の配布・共有をし云々といった手順は、全て省略して構いません。
>> (招集手続の省略)
>> 第三十六条 集会は、区分所有者全員の同意があるときは、招集の手続を経ないで開くことができる。
そして、通常の、「理事会案の決議だけしか総会の審議にかけてはいけない、決議もしてはいけない」という縛りも生じません。自然発生的に全員の関心が集約された議案を、そこで話し合えば良いのです。
>> (決議事項の制限)
>> 第三十七条 集会においては、第三十五条の規定によりあらかじめ通知した事項についてのみ、
>> 決議をすることができる。
>> 2 前項の規定は、この法律に集会の決議につき特別の定数が定められている事項を除いて、
>> 規約で別段の定めをすることを妨げない。
>> 3 前二項の規定は、前条の規定による集会には適用しない。
これは、たまたまそういう全員の同意による総会の場の発生という「特殊な事例」についてのみ、但し書きで述べているということなのでしょうか?
そうではないと思うんです。
この第36条と第37条の第3項こそが、本来的な集会主義の原型をこっそりここで?示唆しているのだと思うんですよ。
みんなで囲んで意見を出し合う、その場にみんなが揃う(出席)ことが大前提。
なので、条文のそれ以外の全ては「実際的だけれど、理想ではない、現代社会に特化した法律」なのではないか、と勝手に思うことにしました(笑)
…にわかじこみの大学生のゼミ論みたいですね(汗)
とは言え、もちろんそのように自然発生的であったり、誰かの声掛けで全員が関心を持って集まるようなこと、すなわち直接民主主義的な集会は、今の社会のほとんどのマンションにおいて、現実的には「実現不可能」に近いからこそ、「代替的な手段」として、総会の欠席者対応として議決権行使書、委任状という制度があるんですよね?
膨大な、潜在的な、これからもずっと増えていくであろう欠席者達への配慮です。
そして、全員参加が実現不可能だからこそ、この代替的手段を大事にし、「今んとこはこれが最善なんだから、これで行こう!ね?ね?」って、法制化しているわけでしょう?
よって、「はじめに議決権行使書ありき」とは、なりません。なっておりません。全く。
それでは本末転倒です。
やっぱり、出席することが大前提です。
「出席してもしなくてもどちらでも良い」ではないんです。
「出席できず、当日の審議に参加できない場合でも、次善の策として議案書の読み込みによる議決権行使書や委任状の提出をすることで、出席と同等にみなす」ということですから。
あくまでも出席が中心なのです。
なので、「議決権行使書を事前に出していた人を無視しないように」という論法が、それを唱える者の心情や真意に反して一人歩きをし、「総会で議論をさせないための口実」のように逆転し、悪意のある者、悪意とは言わずとも何らかの有意のある者に利用されてしまいかねないことになりかねません。
…それを危惧している人は、うちのような低レベル管理組合やその経験者には多いでせう。
つまり、水面下では起きている事象なのに、標準レベルあるいはそれ以上の大多数のマンションの管理組合や、マンション管理士さんのようなエリートからは「見えない」んです。
見えないから、故意にでは決してなくても、結果的にシカトしてくれちゃうんだよなあ…って、わかります?
話を戻して。
総会の本義は、「最高決議の場」というだけではなく、そこに至るまでの「合意形成の場」でもある筈です。そのプロセスあってこその決議です。
合意形成のために、情報を共有し、意見交換し、反対意見も取り入れて、交渉なども行われつつ、最終的な案が練られてゆき、採決を通じて合意に至るわけです。
民主主義においては合意形成のプロセスはとても大事です。しかし、これはいまだに困難な道と言われており(各国の国会等を見てもそうでしょう)これという決定打さえ、学術的にも存在しない状態です。ケース・バイ・ケースで、その都度その場で探っていくしかないのかもしれません。
それを、「総会は決議の場であり議論の場ではない」と「言い切って」しまうのなら、手続き主義、形式主義に陥ってしまうことになりませんか?
まだ、書きたいことはあるにはあるんです。
>(3)総会における「議論」とは何か
すぐには書けないので、何回か、何日かに分けての投稿になるかもしれません。
つづく(乞うご期待(笑))