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マテリアル跡地はしまむら本社や埼スタ直行BRTのバスターミナルができるそうです!
今後の開発について話し合いましょう!
[スレ作成日時]2016-02-12 17:43:20
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今後の開発について話し合いましょう!
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「鉄道のまち大宮」活気の中心 子育て世帯、企業呼び込む : 読売新聞オンライン
2024/12/14 05:00
全国でも有数のターミナル駅の大宮駅が来年3月、開業140周年を迎える。「鉄道のまち」の核となる駅には、1日に24万4000人(JR分のみ)の乗客や、買い物客らが集まる。駅と街の今を見つめ、歴史を振り返る。
辺りは暗い午前4時前。JR大宮駅西口1階のシャッターが上がり始めた。待ちかねていた男女数人がくぐり抜けていく。大宮駅の一日が始まった。
東口も開けられ、中央通路には様々な人が行き交う。きびきびとした駅員たちの姿も目立つ。券売機を確認し、床を拭き掃除する。
平日は午前6時半頃から人の「波」が押し寄せる。東京方面に通勤する会社員が切れ目なく、改札に吸い込まれていく。学生も多い。小走りの人、時計をしきりに確認する人。いつもの、せわしない朝だ。
大宮駅の平日の運行本数(JR線)は在来線約1110本、新幹線約310本。駅の利便性の高さは、街に人を呼び込む原動力となっている。
■人口右肩上がり
会社員の内藤奈美江さん(45)が、愛知県から大宮駅そばのマンションに引っ越してきたのは9年ほど前。当時は夫と2人だったが、子ども2人を授かり今は4人家族だ。自分も夫も職場は都内。実家は栃木県。大宮を選んだのは「どちらにもすぐ行けるアクセスの良さ」という。
全国的に人口減が加速する中、大宮区では右肩上がりが続く。区内の人口は12万6343人(1日時点)で、10年前より1万2206人も増えた。特に目立つのは子育て世帯の増加だ。
「大宮たいよう保育園」は今年9月、駅西口近くに開園した。既に50人近くの園児が通っている。志築祥子園長は「来年度の入園説明会には、100人弱が来た」と子育て世帯の多さを実感する。
住宅情報サイトを運営するリクルート(東京)が今年発表した「住みたい街(駅)ランキング」の首都圏版で、大宮は過去最高の2位に入った。
大宮に注目するのは企業も同じだ。業務ソフトウェアの開発や販売などを手がける「弥生」(東京)は駅西口のビルに関東営業所を開設し、5月に営業を始めた。同社の広報担当者は「便利な立地で、直接お会いできる顧客が増えた。営業活動にプラスになっている」という。さいたま市産業展開推進課は「駅近くのテナントが空くと、すぐに別の企業が入る。100人規模の企業や本社機能を移す例もある」と盛況ぶりを語る。
新しく集う人たちばかりではない。大宮で暮らし、商売を続ける人たちも街を盛り上げている。
■東口VS西口熱戦
毎年10月、大宮駅は「一年で一番熱い日」を迎える。2017年から始まった東西対抗の綱引き大会だ。駅の連絡通路に延ばされた約40メートルの綱を、商店会関係者らが引き合う。先に2勝すると勝利で、駅構内の「領土」を広げることができる。観客と応援団が熱戦を見守る。
かつては駅の東口と西口が別々にイベントを開催することが多かったという。JR駅員と商業施設関係者の飲み会で「駅を中心に街全体をまとめたい」という声が上がり、綱引きのアイデアが出たという。
今年は西口が勝利し、通算成績は西口5勝、東口3勝になった。発起人の一人で、駅西口の商業ビル「アルシェ」の中島祥雄社長(56)は「すぐに終わると思っていたけれど、バカバカしさに多くの人が共感してくれている。『大宮、ちょっとおもしろいぞ』と思ってくれる人を増やしたい」と語る。
活気ある街の中心。そこに大宮駅がある。
JR大宮駅の中央改札を抜けると、銀色のステンレス棒2本が絡み合うモニュメントが目の前に現れる。高さは約7メートル。県内屈指の待ち合わせポイントと言える「まめの木」だ。
JR東日本大宮支社によると大宮駅開業100周年と埼京線開業記念にあわせて、1985年に設置された。実は正式な名前は「行きかう・線」。愛称を公募したところ、まめの木になった。2本の棒がねじれながら上に向かう姿は、童話「ジャックと豆の木」に出てくる豆の木をイメージさせるからだろう。
依頼を受けて、デザインしたのは札幌市出身の彫刻家、伊藤隆道さん(85)。大宮駅は多くの路線が集うことから「行きかう・線」としたという。デザインを決めた後、「何度も工場に行って、できばえを確認した」と懐かしむ。
伊藤さんは、「まめの木として作ったわけじゃないんだけどな」と笑った後、「人が集うシンボルとして、今も親しまれていてうれしい。これからも愛されていってほしい」と願う。
https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/feature/CO078760/20241213-OYTA...
新幹線開業で街並み激変…西口に「DOM」などビルが続々 : 読売新聞オンライン
2024/12/15 05:00
■「第2の開業」
140年もの長い歴史を持つ大宮駅は1982年6月23日、「第2の開業」を迎えた。東北新幹線の開通だ。盛岡―大宮駅間が先行開通し、大宮駅は暫定的に始発駅となった。
〈1〉大正時代の大宮駅(鉄道博物館提供)
〈2〉大宮駅で開かれた東北新幹線の開業記念式典
記念式典が行われた新幹線ホームは関係者や報道陣らであふれ返った。「新たな鉄道の時代がこれから始まる」。ホームで見守った松本敏雄さんは、あの時の胸の高鳴りを今も覚えている。
旧大宮市出身。国鉄に入社後、大宮工場(現・大宮総合車両センター)で働いた。市内には工場をはじめ、国鉄の官舎が多くあった。「作業服で飲食店に行くと、いくらでも『ツケ』にできた。それくらい鉄道が信用されていた」と笑う。
同工場出身の大宮市長、秦明友さん(1983年死去)を手伝うことになった。政治の世界に触れ、しばらくして大宮市議に当選し、工場も兼業で働いた。
新幹線の建設計画に対して、住民の一部は騒音などを懸念し、反対運動を展開した。松本さんは市議兼国鉄マンという立場を生かし、橋渡し役を務めた。国鉄は、埼京線などを開通させることで、新幹線の開業にこぎ着けた。
松本さんが初めて新幹線に乗ったのは、開業からしばらくたってから。「何より速かった。衝撃だった」「ホームで待つ人たちはみな笑顔だった」。速さと笑顔。二つのことが印象に残ったという。
■区画整理進む
新幹線の開業は街並みも変えた。
大宮駅東口は県内有数の繁華街で、呉服店などの老舗も多かった。新幹線の開業をきっかけに、チェーン店が増え、商店は複合ビルに建て替えられていった。商店主らで作る大宮駅東口協議会の久世晴雅会長(84)は「寂しさもあったが、街全体が明るくなった」と振り返る。
「昔は西口から東口に行くことを『街へ行く』と言っていた」と話すのは、西口で靴屋を営んでいた関根洋征さん(80)。にぎわう東口に比べて、西口の商店街は寂しかったという。
新幹線の開業が決まると、西口駅前の区画整理が進んだ。関根さんを含めた商店街のメンバーは議論の末、個人商店をまとめてビルを建てることを決めた。駅直結デッキの整備も決めた。
新幹線開業の約3か月後、地上7階、地下3階の商業ビル「DOM」がオープン。新幹線の効果もあり、県内だけでなく県外からの客も多く訪れた。DOMを手始めに、西口にはそごう大宮店、ソニックシティなど大型ビルが続々と建設された。
「ビルができて、若い人の姿が増えた。こんなに人が集まる街になるとは思わなかった」。行き交う人たちの様子を、関根さんは満足そうに眺めた。
◆「鉄道のまち大宮」の歩み
1885年 大宮駅が開業。高崎線・東北線の分岐駅となる
94年 車両工場を開設
1926年 大宮駅に西口ができる
27年 大宮操車場が操業開始(※84年に閉鎖)
67年 大宮民衆駅(駅ビル)落成式
82年 東北・上越新幹線が開業。大宮が暫定始発駅になる
85年 埼京線(大宮―池袋間)が開業
87年 国鉄が民営化されJRに
90年 ニューシャトル全線(大宮―内宿間)開業
※鉄道博物館への取材を基に作成
県内最大のターミナル駅となった大宮駅だが、明治時代に鉄道が開通した当初、大宮に駅はなかった。鉄道博物館(さいたま市大宮区)学芸員の五十嵐健一さんに大宮駅の歴史を聞いた。
中山道の宿場町として栄えた大宮は明治維新後、人の往来が減り、人口も減少した。日本最初の私鉄「日本鉄道会社」が1883年、上野―熊谷間に鉄道(現在の高崎線)を開業した際、県内には浦和、上尾、鴻巣、熊谷に駅が設置された。
その後、東北線の整備にあたり、高崎線との分岐点として大宮に駅を設置する案が浮上。他の候補地もあったというが、後に大宮町長になる白井助七氏が中心となり、熱心な誘致活動を展開。比較的直線で線路を敷くことができることなどから、大宮駅の設置が決まり、85年に開業した。
北関東で生産された生糸は鉄道で横浜港に運ばれ、輸出された。中継地点となった大宮には、長野県などから製糸会社などが進出し、「商業の街」として発展していった。
駅開業から9年後には、列車の修理などを行う車両工場を開設。さらに1927年には、貨車の仕分けなどを行う大宮操車場も設けられた。
五十嵐さんは「駅、工場、操車場があり、鉄道関係者とその家族が多く集まった。こうして『鉄道のまち』が発展していった」とみている。
https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/feature/CO078760/20241214-OYTA...
大宮を東日本の「中心都市」へ…新幹線で人・物呼び込む : 読売新聞オンライン
2024/12/16 05:00
■「越前がに」輸送
「福井のカニ、新幹線で届きました」
JR大宮駅東口にある、商業施設「まるまるひがしにほん」に7日昼過ぎ、福井県職員らの大きな声が響いた。並べられたのは「越前がに」約20杯。呼び声に誘われ、人がどんどん集まってきた。
カニはゆでられたばかり。敦賀駅(福井県敦賀市)から北陸新幹線に載せられ、3時間半後には大宮駅に到着。その15分後には売り場に並んだ。カニのほか、福井の地酒や漆器などもそろった。販売を見守った福井県東京事務所の山田武雄総括主任は「大宮には北関東の人も集う。PRには重要な拠点だ」と話す。
さいたま市は広がる新幹線網を活用し、大宮駅を「東日本の玄関口」とする戦略を描く。2019年にオープンしたまるまるひがしにほんでは毎週のように、東北や北陸の物産市が開かれる。2023年度は43回にも達したという。ビジネスチャンスも増えている。東日本各地の生産者、食品卸売業者と、さいたま市内の飲食店などとの商談は、同年度だけで900件を超えたという。
さらに市では、大宮駅を始発とする新幹線の復活を国土交通省などに要望している。荷物の積み込み時間や乗客増に対応するためだ。市交通政策課は「始発駅になれば人と物がより大宮に集積する」と期待を寄せる。
◆新幹線で運ばれ、まるまるひがしにほんで販売された主な特産品
宮城県気仙沼市 新鮮なカツオのたたき
北海道函館市 とれたての貝などの刺し身
長野県 その日に打った生そば
岩手県 朝に瓶詰めした日本酒
福井県敦賀市 越前がに
■大規模改修計画も
大宮駅とその周辺の大規模改修計画も進んでいる。2018年に策定された「大宮駅グランドセントラルステーション化構想」だ。駅をまたぐ東西連絡通路の新設と、東武野田線大宮駅の橋上化などが計画の柱だ。
地元関係者や有識者ら約20人を集めた「調整会議」を作り、構想の具体化を図ってきた。会議の会長を務める、一般財団法人「計量計画研究所」(東京都文京区)の岸井隆幸代表理事は「住民や企業に選ばれる地域として、大宮には、他の都市に負けない可能性がある」と話す。
「玄関口」から、東日本の「中心都市」へ。駅を核とした大宮の街が、どのように発展していくのか。期待せずにはいられない。
「鉄道=大宮」浸透させたい・駅長
3月には北陸新幹線が敦賀駅まで延伸され、大宮駅からの交通網がさらに拡大した。2021年から駅長を務める緑川清士さん(61)は「新幹線の多さが大宮駅の利点。立地に絶対的な強みがある」と分析する。
駅構内や駅近くの施設では毎週末、物産展などが開かれている。緑川駅長は「食事などで東日本全体のさまざまな体験ができる」とする。上信越地域の食品販売業者などからは「東京ではなく、まずは大宮を目指す」と言われることもあるという。
一方で「まだまだ通過点。人が降りる着地点としては弱い」とも感じている。対策の一つとして、1年ほど前から旧国鉄の車両工場などがあった縁で、新潟県や秋田県との連携を強化。駅周辺で行うイベントにブースを出展。3か所の駅員らが集まり、「鉄道のまち」やそれぞれの特産品などをPRしている。
大宮駅近くには大宮総合車両センターがあり、埼玉新都市交通(ニューシャトル)の1駅隣には鉄道博物館もある。緑川駅長は「『鉄道といったら大宮』をもっと浸透させたい。大宮のブランド力を高めるために、鉄道ファンらを呼び込みたい」と、さらなるにぎわいの創出を図っている。(この連載は水野友晴が担当しました)
https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/feature/CO078760/20241215-OYTA...
大宮駅グランドセントラルステーション化構想で示された新しい東西通路のイメージ(市資料から)