水害についての長文です。関心のない方はスルーして下さい。
このスレで玉川の水害について、話題になっているので書き込ませていただこうと思います。二子玉川住んで40年近く、専門家ではありませんが、多摩川の水害について、関心を持って見てきました。
このスレで、何度か水害について、十字架という観念的な言葉が使われていますが、ここではもっと単純にリスクという言葉に置き換えましょう。二子玉川に住んでいる以上、水害のリスクは避けようがありません。これは宿命でしょう。しかし、考えてみてください。車に乗ることだって、交通事故という大きなリスクを背負っています。ではなぜ車に乗るのか、これは利便性を快適性がそこにあるからです。個人個人で考え、交通事故のリスクが大きいと思えば、車に乗らなければよいのです。マンションも同じことで、多摩川の水害のリスクが大きいと思えば、ここは放棄し、瀬田や上野毛などの高台のマンションを選べばよいということです。
さて、ブランズ二子玉川(プラウドな他のマンションや戸建て住宅も)は旧堤防の内側に存在します。もともとここは川であったという説も聞きますが、これには理由があります。
このマンションのある玉川3丁目の一部と1丁目は、料亭や茶店のあった場所です。
明治以来、玉川は行楽地であり、鮎釣りや屋形船を浮かべて遊ぶような場所だったのです。この地区に堤防を作る計画が持ち上がった時、ここの料亭たちは、景観が失われて商売ができなくなると大反対しました。そこで仕方なく、この料亭群の後ろに堤防を作ったのです。ですから、この地区は元来川であったというのは間違いです。因みに現在でも商業地区とされているのはこのためです。
やがて、料亭は廃れてゆき、この地区は住宅とマンションにかわっていきます。ブランズ二子玉川の前身である第一スカイハイツは、この地区に建設された最初のマンションであり完成以前から注目され、発売3日前から順番の列ができ、即日完売したほどの人気だったといいます。それから38年がたち、町は大きく発展しました。幸いことに、この間多摩川の氾濫により、二子玉川が浸水することは一度もありませんでした。ドラマ「水辺のアルバム」で有名になった1974年の狛江水害の時も、二子玉川は無事でした。また、このスレで言われているような「富士観会館(現 野村プラウド)やパチンコ屋まで水が浸入した」というのは、全くのデマです。とは言え、この40年近くの間には、「これは危ない・・」というような状況は何回かありました。最近では2007年9月の増水が記憶に新しく、また多摩川氾濫の危機が最も切迫した時でした。
この時の状況は以下のようにものでした。
9月6日、低気圧が停滞の停滞により、多摩川上流に大雨が降り続きました。この日の夜半から多摩川は茶色の濁流で氾濫が心配されていました。いよいよ危険な水位に達したのは翌7日朝7時ころでした。世田谷区は玉川3丁目の一部と1丁目に避難勧告を出し、NHKや広報車で住民に伝えました。私のところにも、TVでこれを知った親戚が心配して電話をしてきたりしたので、私も川の様子を見に行くことにしました。これは危険なことですが、安全を十分に確保した上で、双眼鏡を使いました。また、防災活動の邪魔にならないよう配慮もしました。先ず訪れたのは、兵庫島公園の入口(現ブランズの前)です。公園に架かる橋は水没し、兵庫島も大部分水に浸かっていましたが、公園に続く階段の上の私の位置から川の水位までは、まだ十分余裕があるように思えました。今すぐにここから浸水する危険性は少ないというのが、この時の私の判断でした。しかし、ここから二子橋を超えて下流の方へ歩いてゆくと、事態は一変していました。今の第2スカイハイツの辺りから、玉川1丁目の河川流域には、土嚢が1m位の高さで積まれ、消防や関係者が何人も出て、緊張の面持ちで水位を警戒していました。すでに水位は土嚢近くまで達しており、民家までの浸水は無かったものの、道路までヒタヒタという感じで水が来ていました。個人的な感想ですが、この地域の住民はすぐにでも避難したほうがよいと思いました。また、後で知ったことですが、世田谷区は旧堤防の陸閘を閉める準備をしていました。幸いにも、この時はこれをピークに水が引いてゆき、大きな被害には至らず午前10時頃に避難勧告は解除されました。
こうした経験は1999年の多摩川増水の時にも遭遇しており、この時にも避難勧告がでました。しかし、自治体から玉川住民に避難勧告がでたのはこの2回であり、数年に一度避難勧告が出るというようなことはありません。もちろん、年に何度も大きな台風などはきますが、避難勧告が出るほど深刻な事態にはなっていません。
こうした経験を踏まえて、玉川1丁目には仮堤防が作られる事になりました。これには景観の問題や自然保護などの見地から大きな反対もありましたが、現在では仮堤防が出来上がっています。ここは立ち入り禁止になっていますが、しっかりと土壌を安定させる必要があり、例えば花火大会などで大勢の人が侵入すると、堤防を痛める可能性があります。いざという時に堤防が破壊されてはなりませんから、やむを得ない措置といえるでしょう。
しかし、この仮堤防は未完であり、二子橋の下あたりで建設が止まっています。それから先へは同じ高さのレベルで土嚢がつまれていますが、この辺は兵庫島公園や運動場への入口であり豊かな自然が残っていることから、仮堤防の建設は簡単にはいかないというのが実情なのでしょう。しかし、個人的には多少の景観を失っても、仮堤防は作られるべきと考えています。
長い文章になりましたが、皆様のリクエストがあれば、「今までに経験したことのないような大雨」で二子玉川に浸水したらどのような状況になるのか、またここに住まう上での「3つの覚書」を次回に書いてみたいと思います。
644さん
まともなご意見ですね。
後学のためですが続きを伺いたいです。
ここではないですか、ライズ開発の際、
周辺住民から随分と反対があったと聞きました。
理由は、ライズ再開発にともない、土地を数メートル嵩上げする為、
周辺地域での水害の危険性が高まる事。
その際に危険視されたのは、多摩川ではなく、
その北側に流れる丸子川だと聞いています。
その辺りからの浸水はこれまでにもなかったのでしょうか?
再度、水害に関する長文です。前よりさらに長いので、関心のない方はスルーして下さい。前回の拙文を読んで下さり、ありがとうございました。
先ず、645さんの質問にお答えしておきます。
ご存知だとは思いますが、丸子川は江戸時代に灌漑用水として施設された人工の川です。このため、水量に対するキャパシティーは小さく、昔は度々氾濫を起こしていたといいます。現在では付近に住宅も多く生活の場となっていることから、治水の整備が進み、簡単に氾濫するようなことはなくなりました。ライズの問題は、ゲリラ豪雨などの際、嵩上げされた土地から大量の雨水が丸子川に流入し、氾濫を起こすのではないかと危惧された事でした。これに対して、ライズ側は、世田谷区と協力して下水・雨水の処理施設を備え、そうした心配はないよう努力する、という意の回答したように記憶しております。実際にライズが完成してから、二子玉川にも大雨が降りましたが、今のところ丸子川が氾濫したという事実はありません。645さんのご指摘のように、ゲリラ豪雨など、短時間に地域集中的に降る雨は、小さな川に大きな影響を与え、多摩川のような大河を反乱させる事はまずないと考えてよいでしょう。ゲリラ豪雨は、中小河川や用水路、排水施設などを溢れさせ、局地的な水害をもたらします。これは、場所を問わず、高台でもおこります。最近の事ですが、容量の小さな排水施設しか持たないビルが、ゲリラ豪雨の大雨量を処理しきれず、ビルの部屋内にまで大量に浸水したという実例もあります。
今、私たちは「今までに経験したことのない大雨」の可能性の中にいます。
テレビでは「異常気象」という言葉が当たり前のように使われ、ニュースでは連日のように水害の報道がなされています。多摩川が増水し、茶色の濁流が音を立てて流れていくのを見ると、いつか玉川にも水害の魔の手が伸びるのではないかと案じてしまいます。ただ、多摩川は急流であるが故に、氾濫の可能性は少ないという説もあります。これは大量の水を一気に海へ押し流してしまうためで、氾濫の危険性はむしろゆったり流れる川の方が大きいということです。例えば、首都圏では荒川です。荒川は流れのゆるい河川です。ここが氾濫した時のハザードマップが国交省から公開されていますが、大変な被害想定です。要は「今までに経験したことのない大雨」とうことであれば、どこにも危険はあるということです。
ここで一般論にしてもしかたないので、玉川に戻ります。先ず、以下の多摩川氾濫についての記述はあくまで素人の経験による推測であり、決して科学的根拠に基づいた正確なものではないことを明言しておきます。
玉川での氾濫地域を想定すると、やはりブランズやプラウドのあたりは可能性が高いでしょう。今まで玉川の弱点であった1丁目は仮堤防が施設されていますが、前の文章でも書きました通り、この仮堤防は未完です。とすれば、堤防が未完である二子橋から兵庫島公園への階段周辺から浸水が始まるという推測は、あながち間違ったものとは言えないでしょう。ブランズやプラウドの居住部分は嵩上げされていますが、それでも不安は残ります。少なくとも駐車場や免震施設などの地下部分は何らかの被害を受けるでしょう。免震装置のゴム部分などは交換可能でしょうが、大きな費用が見込まれるため、マンションとして水害保険に入っておくなどの対策が必要です。
ここから流入した水は、低方である1丁目方面に流れていくでしょう。この地域は一戸建ての家屋も多く、ここが浸水すれば大きな被害が見込まれます。しかし、こうした時には、すでに住民は全員避難し、旧堤防の陸閘も閉じられていると信じております。
ここまでが、一般に想定されている玉川での水害です。しかし、何度もいうようですが、「今までに経験したことのない大雨」です。想定外の災害が起こることは、我々は東北大震災でいやという程学んだはずです。とすれば、多摩川の水が、旧堤防を乗り越えて町の中心部に流入していくということも考えておかねばなりません。多摩川からの大量の水が旧堤防を乗り越えるとすれば、旧堤防が少し低くなっている二子玉川交差点あたりと考えます。旧堤防は玉川を守る最後の砦であり、これを乗り越えた水は一気に駅やライズ方面に押し寄せます。こうなれば、ライズの地下街などは大きな被害を受けることになるでしょう。地下で連結されている高島屋の地下街にも被害は及ぶでしょう。玉川で一番低いところは、旧玉川高校の周辺一帯です。水は玉川税務署等を経てここを目指すはずです。これにゲリラ豪雨が加われば、国分寺崖線下の丸子川やすでに浸水の実績のある野川なども黙ってはいないでしょう。こうなると、玉川全体が浸水という状況になってもおかしくありません。世田谷区は水害の際に避難所を二子玉川小学校に指定していますが、もしこのような状況なら、ここは安全ではありません。高台の瀬田中・小学校やセントメリーズなども避難場所として考慮しておく必要があるでしょう。
果たして、こんなことが起こり得るのか、それはこの今年なのか、100年経っても起こらないのか、これは大地震と同じく誰にも分かりません。しかし、水害と地震とでは決定的に異なっている事があります。それは水害が予測可能だということです。また、首都機能が全て麻痺してしまう巨大地震とちがって、水害の被害は局地的であり救援や援助物資も地震よりは早く到着することが期待されます。「多分大丈夫だろう、何とかなる」といった油断は大敵ですが、いたずらに心配する必要もありません。普段からの心構えで、水害の被害は最小限に抑えられると考えています。
以下、全く個人的なものなのですが、私が玉川に住む上での3つの「覚書」を書いておきます。
1)常に情報に関心をもっておく。
玉川の水害を常にありえるものとして捉え、気象情報、河川情報、世田谷区の災害情報など、最新の情報に注意を払って おく
2)世田谷区の避難勧告がでたら、迷わず非難する。
過去の2度の避難勧告にもかかわらず、玉川の住民で避難したのは10人以下でした。
これに対して、世田谷区長は異例の声明で、「避難勧告は軽軽に出しているわけではない。勧告には従って欲しい。」と しています。実際、避難するというのは、簡単なことではありません。しかし、普段の心構えひとつで、こうした行動が とり易くなる事は確かです。
3)災害用物資を備蓄しておく。
これは地震とも重なり合います。水害において、ライフラインが途切れ、2階以上の住居に取り残された場合、水や食料 などの備蓄が命を救います。さらに言えば、水害に対する保険に入っておくことです。通常、火災保険には水害も含まれ ますが、地域の特殊性として、水害に対する補償を厚くしておくことをお勧めします。
私は戦争を知らずに生まれました。日本の高度成長を目の当たりにし、豊かさを享受してきました。そしてバブル、その崩壊、失われた20年、この間大きな災害が何度もありましたが、東京の私に直接の被害はありませんでした。これからあと何年生きるのかわかりませんが、一度くらいは生死を左右する大災害(あるいは戦争?)に直面することを覚悟しております。こんな大災害の前では、家の備蓄も常に携行している防災グッズも全く役に立たないかもしれません。しかし、このような状況になっても、災害をつぶさに観察しながら、何とか生きる望みを見出してやろうという意欲は、いつまでも持ち続けたいものだと考えております。
長文、失礼致しました。
648さん私も地元です おっしゃる通りです
戦時中まで、朝鮮労働者の街(砂利すくい)で、今でも朝鮮系の人が多いことも加えてください
学校に行けば、朝鮮系の方が多きことがわかりますよね