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香櫨園はいかがでしょうか。
住人ではないのですが、あの辺りを訪れる度に
住んでみたいなあと思っております。
便利かどうかは・・・ですが。
夙川はいいですが、駅近はかなり高い。駅から離れると普通です。西宮なら門戸厄神から甲東園もいい。静かな住宅街で雰囲気もいいです。華やかなお店とかはありませんが。
香櫨園は南北に広いですよねえ。厳密にいうとちょっと違うのかもしれませんが、2号線の当たりから南は回生病院のあたりでも香櫨園の看板がつくマンションがありますし。夙川を東側に超えても香櫨園の名前がついているし。川の西側と東側でも大分、便利さが違います。どの当たりを選ぶかは何を生活の優先順位に持ってくるかによって変わるのでしょうね。
上甲東園だな
戸建てで買いたい
億するけど
西宮北口の駅北側、夙川の徒歩10分以内、苦楽園口の平坦な所、門戸厄神、甲東園の駅東側~上甲東園
ラフィネス甲子園口だね。
以前は億したけんね。
阪急より北は最近以前ほどは人気なくなってきたのではないでしょうか
西北の南側はあまりオススメはしません。商業地として買い物などに行くのは良いですが。
西宮北口の南に住んでいるけど何か?
これほど便利で住みやすいところもないけど。
過去や風評だけで判断するのも島国根性丸出しだね。
西宮北口の南って批判するわけではなくて、一長一短だといいたかったのだと思いますよ。
うちには小さな子がいるので、ああいう商業地域のそばにいると、いろんな誘惑が多いだろ
うなあ、と思うんです。今でもコンビニのそばで毎日のようにトレーディングカードを買い
に行こうとする息子に大変な思いをしています。これが北口だったら、と思うと。娘ももう
しばらくしたら思春期をむかえるし。もちろん、まずは親の態度でしょ、と言われればそれ
までですが、やはり、物理的に距離がある方がいいと思います。北口南側も、大人だけの生
活なら、便利でいいと手放しで喜べるのでしょうけど。
「あまりオススメしない」、ぐらいのコメントで、556さんみたいに、キレ気味に攻撃しなくても。
商業地に住みたくない人って、意外と多い。
逆に何かあるのって聞きたくなります。
香櫨園!!海へ続くオアシスロードは静かだし最高!!
あれは43沿いやろ。
香櫨園は数年前のプチバブルの後遺症がまだありますね。
ソープランド経営者ら逮捕…芦屋の自宅から2億円押収
ソープランド「ラブアンドボディー」の経営者らが売春防止法違反の疑いで
逮捕された事件で、滋賀県警生活環境課などが5日までに、店の実質的経営者の
伊藤義文容疑者(62)=兵庫県芦屋市東芦屋町=の自宅の金庫にあった現金
約2億円を押収していたことが分かった。
県警によると店の売り上げは伊藤容疑者に集められていたといい、現金の流れを調べている。
調べでは、伊藤容疑者は経営者の篠原泉容疑者(40)ら3人と共謀し、9月5日から
10月27日に、店の女性従業員2人が不特定多数の男性客を相手に売春することを
知りながら、店の個室を使わせた疑い。
オススメは苦楽園の平坦な所
苦楽園ってどこもかしこも坂道じゃん。
大阪・神戸にも出やすくて学校も私立公立問わず沢山あるので、すごく良い町です
ただ西宮の人は西宮が住みやすく好きだから手狭になったりし引っ越すとなってもできるだけ今の家の近くに引っ越されるかたが多く近所付き合いが苦手だとしんどいかもしれないですね
群れるのが好きなサラリーマンの街
まあ、工場町とか漁師町とかがいい人には不向きかもね。
バブルの頃にセラヴィとかの半島系の成金連中が芦屋夙川苦楽園界隈の土地を
買い占めてましたね。本当に強烈に汚染が進んだのはここ20~25年くらい。
半島系稼業、水商売や舎弟企業や小汚い芸能人やパチンコ成金、金融屋、
スポーツ成金、興行系などが以前にも増して芦屋川沿いや山手町、東芦屋町、
山芦屋町、六麓荘、岩園町なんかに大量に住みだした。
連中は生まれと育ちが悪いだけでなく教養と常識に欠け本当に下品。
日本が誇る美徳と美意識である質素に振舞う価値観とは正反対なんだよ。
小汚く稼いだ金でブランド物や高級車を買い漁り、派手な装飾品を
これみよがしに街中で身に着けて派手な車を乗り付けて闊歩する。
地震の時は毛皮を着て、給水に並んでいた。
そんな連中が街に昔以上に増えてくるから、謙虚で上品で教養と
知性と学のある本当の育ちのいい富裕層は流出し、そういう層がとても
嫌悪するようなエリアになってきている。
山芦屋町に昔から住んでいる知人がいる。
芦屋では相続関係や栄枯盛衰などもありいまは昔からの住人は出て行って
かなり入れ替わっていると嘆いている。
ここ十数年はレジャー産業や水商売、金貸し業、飲食関係などで財を
成したいわゆる半島系の方々の勢いがやはり凄いとの事。
表札は日本名がかかっていて一見ではわからない。
>>572
元々不動産屋なんて真っ当な商売じゃないからセラヴィに限らず色んな連中が多い。
そしてバブルの頃には芦屋も不動産屋のターゲットにされたが崩壊でそれらの連中は多くが一掃され、
それ以降の買い手は多くが普通の金持ち。貴方の推理はたんなる妄想にしか過ぎない。
>>574
>☆脱税で摘発された***やパチョンコとも深い在日チョン演歌歌手T童よしみ(六麓荘)
他は知らないが、天童よしみ邸が六麓荘に無いのは明白です。
デマの発信者か拾い集め屋かは知らないが、おそらく他にも偽がありそうw
どうでもいいけど、K都の大手パチンコ店の一族の御殿があるなw
表札は例によってなぜか別名だけど。
そもそも、そういう生業の連中が家を一軒しか持っていないと考えるのが常識無さすぎ。
六麓荘や芦屋の噂話は多く存在するが、本物は少ない。
本物は具体例的に暴露されるが、偽はいつまでたっても特定されない。
本物例、稲葉邸
偽物例、天童邸、マルハン邸
>>582
マルハンの創業者と4人の息子は全て京都か東京に住んでいる。
そして表札には必ず「韓」と書き日本名は名乗らない。
また六麓荘から京都えの通勤は遠すぎて厳すぎて現実的ではないし、
創業者自身もまだ引退して無いのに芦屋で悠々自適とも考え難い。
地域の住民で地域の住民の本当の事を全てしってる人なんて1人もいないよねw
真実を知ってるのは、市の関係者や市会議員など職務上犯罪をおかさずとも個人情報を知りうる特殊な人だけ。
いっぱい住んでますよ。そりゃもう・・・。
住民で風俗やサラ金の社長などニュースになった時は職業がばれるけど、そんなのは氷山の一角。
ゴキブリは一匹いれば、実際には数十匹いるってのと同じ。
>>597
>岩園町と六麓荘町住民の5割はみんなもう知ってるぞ。
書いてる事が矛盾だらけ、岩園町と六麓荘町住民でマルハン邸を特定出来る人は誰も居ない。
すなわち元々そんな家は存在しない。
>出直せ地方政治
>
>講師 芦屋市議会議員
>
>芦屋スピリット
>
> 私は4年間、議会を留守にしておりましたけど、その間にとうとう芦屋市は起
>債制限比率を突破しました。「私は芦屋が好きだから、芦屋にずっと住み続けて、
>そして芦屋市に税金を払っていくんだ」と仰る方がほんとにたくさんいらっしゃ
>います。これが「芦屋スピリット」というものであり、「地域の力」というもの
>であります。そういう街づくりを住民と行政が協力して進めてきました。「芦屋
>にふさわしくない」というその一言で全市からパチンコ店を締め出してしまいま
>した。パチンコの経営者の皆さんはそれはもう何人も芦屋に沢山お住まいですか
>ら(笑)、これはある意味では他の地域からすればとんでもないエゴイズムとも
>言われかねないポリシーでありました。
>>599また問題の多い市会議員の失言コピペかw
芦屋市議は枠が多すぎて1100票で当選し落選比率も他都市より極端に少ない、そこでぎりぎり当選した人。
この文面での問題は、芦屋で締め出されたパチンコ屋とパチンコ経営者が芦屋に沢山お住まい。
この二点が問題だね、芦屋の風営条令は全国でも初めてで全国的にも高く評価されている。
そのなかのパチンコ条令も現在では見習う都市も多く国までもが法改正したのが現状。
それと私の情報は20年ほど前でパチンコ経営者が何人か知りうる立場の人に聞いた話でその時は4名、
現在はもう少し増えたのかどうだか解らない。でも沢山ってどれ位を指すのか誤解を生む表現だ。
そしてそれに食い付いたのが>>599w
>>598
2年前に建った有名な跳ね馬御殿知らないの?
あんだけ目立ってるから、本当の周辺住民なら
大抵知ってると思うけど。
それと、一族の金で建築後に家屋に当面住んでるのは、
一族のファミリーだけど会長でも息子でもないよ。
66層にマルハンの別邸があるのは事実。
ただし会長本人が、居住しているわけではない。
ちなみに言うまでもないが、池田○作の
自宅扱いの私邸別邸(岩○平バス停の戸○平○会館)
があったのも周知の事実。現在はその部分は
取り壊されて駐車場になり隠蔽されているが。
日本は上澄みの富豪の約半数が、いわゆる賤業
(パチンコ、サラ金、芸能、風俗ラブホ水商売、開発&不動産関係、
ブローカー・ピンハネ、食肉、産廃、特殊利権関係)
という国ですからねぇ。
これは富豪までいかなくても、金持ちレベルの話でも全く同じわけで、
だから結果として金持ちが集まる地域というのは、そういう人種が
多くなるのは避けられない当然の事あり、例外は無いという事。
>>602
何度も執念深いね、跳馬邸はパチンコ業界とは全く別業種の方が住んでいます。
そしてその人はマルハンに建ててもらわなくても自分で建てれるだけの収入がある。
否定したいのならもっと具体的に書いてみろ、ただし本当なら問題はないが、
デマなな起訴も覚悟しろよw
>>603
具体的に書かないのは嘘だと指摘されたので当馬に差し支えの無いのを書いたねw、
べつにそれは隠す必要なんて全く無しだが間違いを補正する。
その家は元戸田伯爵邸ですね、これは私財の寄付により会館化されたが、
家があまりにも立派だったので迎賓館となり、馬屋痕が本館となった。
池田大作もこの家に泊まったかもしれないが別邸とは言いがたいし、
取り壊したのではなく震災で倒壊したのが真相。
↑ 何自慢やねん(笑)
何年間にもわたるコピペ収集ご苦労様
>>607
>悪徳教材販売会社社長で暴力団関係者の社長が詐欺で逮捕
古い記事だらけで元記事の特定は難しいが、
2ちゃん等を回ってる間に作り変えられたコピペも多く派生している。
例えば上記も元記事には暴力団関係者の記載は無し。
芦屋はいいよ。山手も浜手も。すんでみないと分かんない。流れる空気がちがいますね。
ちなみに拙は平田・松浜・伊勢・呉川の古き良き時代を彷彿とするクラシカル芦屋な雰囲気が一番好きです。
高額教材販売でヤ○ザがからんでない所なんて一切無いwww
ちなみにエンセン井上のタニマチでエンセンに沖縄の川辺社長を暴行させた
京都の***も教材販売で有名なところ。
山手は胡散臭い職種の新興成金が多く格落ちです。
特に新興住宅地である奥池、岩園・朝日ヶ丘、苦楽園の北部一帯(柏堂・剣谷・鷲林寺)、
甲陽園の西山町・目神山町なんて最悪。
コピペ君が必死過ぎてなんか悲しいスレですね。
こんなかわいそうな人が救われる世の中になりますように・・・。
日本人はなにかと情弱が多いので、阪急の数十年かけた情弱向けプロパガンダ(阪急商法)
の影響をもろにうけて山手至上主義が蔓延していますが、浜手や平地の昔からの由緒ある
屋敷の阪神間住民は、山手を正直軽蔑していますよ。
日本人で出自のしっかりした良家の人間で山の斜面地に代々住んでるなどという例は皆無。
山手(払い下げの山林開発地)は、怪しげな稼業や出自の怪しい成金が主流派なので。
日本人はなにかと情弱が多いので、阪急の数十年かけた情弱向けプロパガンダ(阪急商法)
の影響をもろにうけて山手至上主義が蔓延していますが、浜手や平地の昔からの由緒ある
屋敷の阪神間住民は、山手を正直軽蔑していますよ。
日本人で出自のしっかりした良家の人間で山の斜面地に代々住んでるなどという例は皆無。
山手(山林開発地)は、怪しげな稼業や出自の怪しい成金が主流派なので。
江戸時代の都市なら仕事に行くのは多くが徒歩圏内、
それが明治大正の電鉄開発で沿線に広がり、
昭和初期には各沿線の目ぼしい地区は開発が進む。
そして富豪層は車も移動手段に組み込み
より広い土地を求め山手地区に移住。
これを阪急の責任だとちっぽけな発想しか出来ない
ここの荒らしはその時点で***み。
この流れは全世界的な流れでまったく起伏部の無い
都市でも高級住宅街の多くは郊外に広がる。
西宮でも由緒あるまともな家柄や古くから住んでる良家は、平地や標高30~80m程度までの
丘陵地か緩やかな麓、大正、昭和初期までに分譲された由緒あるエリアに住んでいますね。
逆に新興の怪しい連中は、軒並み山の斜面に集まってる。
主用な有名分譲地の開発造成時期
★西岡本7丁目 1970年~(昭和45年~)
★芦屋:岩園~朝日ヶ丘 1950年~(昭和25年~)
★芦屋六麓荘 1930年(昭和5年)
※ただし実際に町が現在の体裁になり家がまともに建ちだしたのは1945年以降~(昭和20年~)
吹田:千里山 1920年(大正9年)
豊中:曽根東町 1915年(大正4年)
豊中:東豊中 1933年(昭和8年)
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=en&type=pdf&id=...
豊中:豊中本町 1914年(大正3年)
尼崎:武庫之荘 1937年(昭和12年)
箕面:桜井 1910年(明治43年)
池田:室町 1910年(明治43年)
★西宮:目神山町 1959年~(昭和34年~)
http://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinam...
★西宮:鷲林寺南町 1973年~(昭和48年~)
★西宮:苦楽園番町上部~ 1960年~(昭和35年~)
★西宮:柏堂町・柏堂西町・剣谷町 1965年~(昭和40年~)
★芦屋:芦屋市奥池・奥池南町 1965年~(昭和40年~)
宝塚:仁川 1924年(大正13年)
宝塚:雲雀丘 1915年(大正4年)
宝塚:御殿山 1930年(昭和5年)
川西:花屋敷 1915年(大正4年)
★あり 下品な賤業成金向けロンダ需要専用の「新興住宅街」
★なし 戦前から住んでいる由緒ある家が多く賤業成金が少ない落ち着いた住宅街
>>622またインチキ書いてるんだねw
芦屋市内 着工~町並の7割以上が完成した時期
明治38年~大正末期
川西町平田北町平田町松浜町浜芦屋町伊勢町打出春日町打出小槌町西蔵町
大正2年~大正末期
松ノ内町船戸町大原町親王塚町業平町
大正9~昭和初期
三条町三条南町西芦屋町西山町山手町山芦屋町東芦屋町東山町月若町
特殊地区・・・六麓荘
戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
しかしバブル期に規制が機能しなくなり細分化が進み現在に至る。
宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町
注、旧市街地及び埋立地は上記に含まない。
>>621
プチバブルの時からやた香枦園浜のマンションに住み着き香枦園贔屓する人が張り付いてるが、
自分の住んでいる地域自慢だけにすればよいのに、いつも山手を非難をするから嫌われる。
ちなみに西宮山手で古くから開けた住宅地としては、夙川ー苦楽園ー甲陽園の阪急沿線に拓けた住宅街が有名。
白州次郎は芦屋生まれとあり、山手の方だと思っていたが、
浜芦屋町だったそうだ。浜芦屋町のどのあたりだったのか興味あります。
625さん詳しいですね。情報ありがとうがざいます。
一番大きな洋館は、ボロボロですが、芦屋らしくて大好きです。
昔、テレビの「犬神家の一族」のロケに使われていました。
平田町も昔からのお屋敷が随分減りましたが、あの洋館は、いつまでも残ってほしいです。
↑
すみません625さんでなく626さんでした。
芦屋の古くからの人(平田町が分譲された頃から住んでいる家系)は、
上(六麓荘や奥池や岩園町などの山側)は成金、下品とは思っても格が上だとかは感じてないよ。
格というのはお金が生むものではないからね。
変な宗教で儲けた人や、詐欺で逮捕された人やら、いっぱい新興成金も住んでて
殆どの住民が、居住50年未満の品の無い成り上がりの家だもんね。
最近逮捕された東芦屋町のフェラーリ狂い社長も、サラ金上がりの下品な人種だったね。
六麓荘の戦後の空中写真1947年
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&co...
そして1948年
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
(国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムhttp://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.htmlより)
まだ殆ど住宅が建っていないことがわかる(数えられる程度)。
デタラメなインチキ野郎>>623の嘘はあっけなくばれるという事。
もともと六麓荘は途中で頓挫して、現在の体裁になったのは戦後ずっとたってから。
当初は分譲しても殆ど売れず、資金繰りに困って現在の例の学校に売却して資金を工面。
その後、どうにか土地所有者が決まっても家なんて殆どたたず、家がそこそこのペースで
建ちだしたのは1950年頃から。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
戦後既に3年も経過している時点でも、日出橋のバス通りより北側の住宅数は、
現在の1割にも満たないことが、サルでもわかる。
>戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
嘘吐きは泥棒のはじまりw
実際は正反対で、戦前は殆ど家は建っておらず、家が増えたのは戦後かなり経過してから。
>宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
>宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町
紛らわしい表現で誤魔化すのはいけませんな。
朝日ヶ丘や岩園町は昭和20年をとっくにすぎている時点でも
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
大部分が田畑や山林で家なんてポツリポツリで殆ど建っていないわけだがw
戦後の時点で50%未満なんて大嘘で、正しくは「岩園や朝日ヶ丘は戦後に入ってから開発された新興の住宅団地」だ。
>>632
またずいぶんと解り難い写真を出してきたね~
この解像度とコントラストでは今の六麓荘でも50%未満にされちまいそうだね。
因みに当初の六麓荘区画は300~600坪程度で木を出来るだけ伐採しないさせない、
旧い軽井沢みたいな別荘地として開発されたのでこの写真で判別するのは厳しい。
また例の学校より北側の多くが売残ったのも事実だが学校を除いた総合では、
過半数の宅地に家が建っていた。
朝日ヶ丘、岩園、六麓荘:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の5%以下
奥池、奥池南:50年以上住んでいる家はゼロ
それ以外の山手の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の20~25%前後
山手以外の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の30~40%前後
これは米軍が家屋の状態を確認する為に撮影した写真なので、家屋が判別できないなどという馬鹿げたことはありません(笑) 家や屋根が見えないなんてありえない。もともと六麓荘のテニスガーデンから日出橋の通りより北側(新地)の区画は、9割以上が戦後以降に、はじめて家が建築されている土地です。テニスガーデンから日出橋の通りより南側が、戦前に既に開発されており昭和20年代に現在の街区の体裁が既にできあがって家が建っていた本来の六麓荘。
芦屋の世帯数は戦前で約7500世帯、人口は約39000人。
そして昭和30年代半ばで15000世帯、人口は約60000人。
まだ殆どマンション、集合住宅が建っておらず、埋立地や奥池も当然無く、土地の分筆も未だ少ない時代。
ようするに芦屋は、戦後に入ってから過半数以上の宅地が開発されたという事だ。
その大部分が山手だったのは言うまでもない。
山手の高級住宅地というと、阪急芦屋川から芦屋の天神さんのあたりのイメージがある。
岩園や朝日ケ丘は、ずいぶん新しいのでは・・・。
朝日ケ丘の市民プールの当たり、昭和40年代でも寂しかったような気がする。
まして奥池なんて、ピクニックや遠足によく行ったところで、住宅なんて皆無だった
ような。保養所はあったのだろうか?
香枦園浜が出たとたん猛攻撃、やっぱり芦屋叩きはwww
>>636 無責任なありえないレスが続くが・・・
芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、
増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。
芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比
①、昭和 5年(80年前)28404人 38,2%
②、昭和15年(70年前)39138人 52,7%
③、昭和25年(60年前)42951人 57,8%
④、昭和35年(50年前)57050人 76,8%
⑤、平成22年 93631人
⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人
山手・・・奥山409奥池566奥池南782
埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59
⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人
>>634
その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。
>>641
貴方が主張する3地区の平均をありえないが現人口の一割とすればさらに642よりも厳しい結果になる。
70年前なら、②39138÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=0,61
50年前なら、④57050÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=o,89
すなわち70年前50年前からの人口伸び率が39%と11%だ、他都市よりも街並の崩れが少ない芦屋でもこの数値はありえないし、その他の山手も貴方と主調だと浜手人口を80年前よりも減らさなければ不可能。
現実にそんな事はありえないのは一目瞭然、もういい加減な事を書くな!
市制になった1940年の芦屋の世帯数は7890、2010年現在の世帯数は40116
戦後に糞イナカモンがなだれこんで今の芦屋がある
人口だけではなく、世帯も見なければ本質は見えてこない。
戦前の世帯数は8000弱、これが戦後僅か15年で17000に倍増(以上)している。
もちろんこれはもともと住んでいた人々が僅か15年の間に大量に死んで土地を分割したなんて事ではなく(まだ土地は馬鹿みたいに安く相続で切り売りなどの問題は無かった時代、土地の値段が上がりだしたのは1972年頃から)、主に阪急の線路以北に存在していた田畑や山林の開発による宅地の倍増というのはいうまでもない。
人口については重要なのは、昭和40年頃までとは違い昭和40年代以降の芦屋市の人口の急増は土地の細分化によって増えたのではなく、集合住宅の増加によってもたらされたということだ。昭和40年頃までは、開発によって宅地が増えて人口が増加していたが、昭和40~50年代(既にインフラが敷設されているエリアでは大規模に開発できる土地がが無くなり発展が頭打ちとなり、それゆえに奥池や埋立地が開発された)以降の人口増加は、主に集合住宅の増加によるものだという事。
そして最重要なのは、50年前に芦屋に住んでいた世帯で1970年代からバブル・現代にかけて世帯主が死んだ案件(つまり50年前に住んでいた世帯で70年代までに引っ越さなかった世帯の殆ど)では、大半の家が相続発生時に売りに出されて、土地の持ち主が入れ替わっているという事。つまり戦前に芦屋市に8000世帯弱(ほぼ当時の宅地数とイコール)が住んでいたといっても、今の40000世帯強のうち2割弱が、戦前からの芦屋の住民の家系という事では断じてない。言うまでも無く戦前から住んでいる世帯は、その半数どころかそれを遥かに下回る。
>>645 人口だけ見てもわからんってのがなんでわからんのだ? 幼○園児か?
戦前の芦屋は、1世帯あたり人口が約5人(昭和10年で5.1人)いて、現在は55%減少して半分以下の
1世帯あたり2.3人だぞ。
日本で集合住宅や団地やマンションが本格的に建ちだした昭和40年代以前の世帯数の増加は、開発が行われて
土地・家屋が増えたことを明確に物語るものだが、人口の増減は世帯あたり人口に大きく影響されるので
開発の度合いは分からない。
大規模な開発により土地・家屋(世帯数)が3倍に増えても、一世帯あたりの人数が55%減少していれば、
人口は35%しか増加しないんだよ。