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あのね~ 震災がなくても10~15年スパンで市民の1/3が入れ替わるのが阪神間なのよ。
それが震災という過半数の戸建が倒壊する大インパクトがあって、それから15年も経過しているんだから
半数程度の住民の入れ替わりがあるのは当たり前だろw
阪神間需要(不動産の担保価値)は、転入需要で成り立っている。
不動産屋が異常に多いのはその為(イメージ商法に釣られるバカをだまして一攫千金を狙う業者が集まってくるシマ)。
地縁、血縁による身内需要で成り立っているわけではない。
この地域が、住民の入れ替わりがきわめて激しいから仲介業者にとって旨味があるというのは、不動産業者の間では常識中の常識。
>>775
典型的な情弱おバカさんへ
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/toukeiChiri.do?method=init
2005年の統計GISデータ(国勢)
芦屋市
一戸建て 11216世帯(30.5%)
集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)
実際は、ここ5年でさらにマンションが激増しているので、集合住宅世帯の比率は70%なんてもんじゃない
芦屋市は戦前のDID及び可住地についてはその面積に対して限界近くまで戦後に開発され世帯数が増加したが、
昭和40年代以降に旧住造法の認可を得て各都市で幾つも開発された100~数100ヘクタール級の住宅開発を
行えなかったので(市域の極端な狭さ及び開発に適した緩やかな地勢の大規模山林が存在しなかった為)、
DID自体が拡大しなかったというのが、他の地域のような60~70年代の爆発的人口増加が起こらなかった要因。
戦前の芦屋の市街地・住宅街の風景や街並みは様変わりし、もはや当時の原型を留めていない(所々に面影を
残す建物が残っている程度で、街並み自体は別物)というのは、誰もが知っている事実。
そもそも「奥池や埋立地を除外すると、戦前から人口は云々」といった表現も全くもって意味不明。
通常の大都市近郊の都市は、奥池や芦屋の埋立地とは比較にならない規模の可住地拡大が見られて、
それに伴う人口増加が、全体の人口増加の大部分を占めているんだから、他の都市の人口増加と
比較するにあたって「奥池や埋立地を除くと云々」といった前提をする事がそもそもアホ丸出しw
現実として、芦屋の世帯数は戦前(昭和15年で7890世帯)から5倍(現在4万世帯超)に増えているし、
人口も2.4倍(140%増加)に増えている。
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/jinnkou.xls
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/heisei22nen-jinko...
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
戦前の大都市近郊の住宅街(分譲地)や市街地は、主に駅を起点にせいぜい1~2km圏内で開発され発展した。
そりゃそうだよな。
駅から3~4kmも離れた山林や丘陵地や田畑に人口数万人規模の巨大規模の住宅街が開発されるようになったのは、(旧)住造法などの法律関係が整備され、マイカーが爆発的に普及しバス便も発展した昭和40年代以降からだ。
逆に言えば、駅から3~4kmも離れれば、そこは今までは生活不便で住みにくいエリアだったので、開発されていない土地は「平均的な面積を備えた大都市近郊の衛星都市」にはゴロゴロあった。
ところが芦屋は極端に面積が小さく南北に細長い上に北部は急稜な六甲の斜面が迫っている為、駅から3~4km離れたエリアが大規模住宅街として成立する時代に入っても、巨大規模の住宅街を複数開発可能な土地が全くなかった。
これが、芦屋が他の都市と違い、爆発的に人口の増加が起こらなかった理由。
何も芦屋の市街地が多の都市より戦前から、開発が進んでいたわけでも完成していたわけでもない。
実際は芦屋ほど戦後猛烈に開発された都市は無いぐらい開発されたが(街並みは様変わりして、現在では多くの
街区で戦前とは街並みがまるで異なる)、この点に気付いていないと「芦屋は他の地域と違って、戦前から開発が熟成していた。人口の増加が少ないのがその証拠」などというマヌケな勘違いをするオツムの不自由な情弱君が出てくる。
普通は都心から20km圏にある郊外都市というのは、戦前の市制施行時で30~100k㎡はあるのが普通だった。
それに対して芦屋は極端に小さく18k㎡しかなく、可住地に至っては7k㎡しかない。
だから芦屋は戦後に猛烈に開発されはしたが、(戦前の町の発展度合いが同規模の周辺都市に対しても、
勝るとも劣らない開発圧力で開発された)、土地不足という物理的限界に行き当たるのが早く、
安定成長期以降の巨大規模のニュータウン開発は行えなかった。
ようは市の人が住む事が可能な面積あたりで、戦後から現在に至るまで限界レベルに近い所まで開発が
行われ世帯数も増加しているが(DID人口密度は大阪市より高いので、限界近い開発が行われたのは明白)、
市域の狭さ・可住地不足ゆえに、大規模な人口の増加をもたらす巨大開発は行えなかった(埋め立てや奥池
エリアの開発が精一杯だった)というのが史実。
総合的に判断せず、人口だけを見ても何も分からない。
S10年の世帯数(≒住戸数) 7890
S40年の世帯数(≒住戸数) 17046
H10年の世帯数(≒住戸数) 30808
H22年の世帯数(≒住戸数) 40000(埋立地・奥池・奥山を除くと33000)
これを見て(埋立地・奥池・奥山を除外した戦前から人が住めた町丁で世帯数が300%以上増加)、開発が
緩やかだとか、戦前から家はそんなに増えてないとか言い張るのは頭が湧いてるとしか言えない。
芦屋市のDID面積は、
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/machidukuri/toshimasu/image/genkyo.pdf
これを見ればわかるように全体面積より狭く7.65k㎡にすぎない。
H17年 DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497人なので
芦屋市のDID人口密度 11,173(人/k㎡)
他の地域は、
札幌市 7,966
横浜市 10,036
さいたま市 9,345
川崎市 9,974
大阪市 11,857
東大阪市 10,355
堺市 7,558
尼崎市 9,295
西宮市 10,849
神戸市 9,536
政令指定都市(平均) 8,089
いかに芦屋が戦後から現在に至るまで猛烈に限界まで開発され続け流入し続け住民が激しく入れ替わり、郊外としてはありえないほど市街地・住宅地の人口密度(DID人口密度)が高いかよくわかる。
開発が緩やかで住民の入れ替わりが少ない地域(元から住んでいる地縁・血縁者が多い地域)が、DID人口密度で1万人を超えるとかありえないw
>>775
H17年データ
一般世帯数 37,070 世帯
一戸建 11,398 世帯
長屋建 1,169 世帯
共同住宅 24,452 世帯
・・・共同住宅1・2階建 1,582 世帯
・・・共同住宅3~5階建 11,996 世帯
・・・共同住宅6~10階建 6,040 世帯
・・・共同住宅11~14階建 2,706 世帯
・・・共同住宅15階建以上 2,128 世帯
・・・その他 51 世帯
長屋建+共同住宅=25621世帯
256621÷37070=0.69115 よって集合住宅居住世帯の比率は5年前の時点で市民全体の69%
5年経過した現在は70%超えてる事はここ5年のマンション急増を考慮するとサルでもわかるよな?
西宮は5年前で集合住宅比率65.3%って事になってるけど、これは市の北部地域(名塩、山口、北六甲)が殆ど一戸建てだからで、南部は現在値だと実際は70%ぐらいある。
ようするに、芦屋は戦後ありえないほど開発されて
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
世帯数が5倍に増えたって事だろ(笑)
駅から3km以上離れた地域は、マイカー普及率が0.01%以下だった戦前は市街地として成立しなかったのでのでそのエリアは広大な開発余地が残されていたのが通常の都市だが、市域が東西に狭い芦屋は3km離れると北の急斜面の山腹なので、大規模な新規の住宅地の開発が行えなかった。
つまり芦屋は、大規模開発が行えなかったにも関わらず、世帯数が5倍に増加するほど戦後に開発され尽くしたが、60~70年代以降の巨大規模開発が行える用地が無かったので、表面上の人口増加が通常の郊外都市(郊外都市の爆発的な人口増加は安定成長期以降の巨大ニュータウン開発によるもの)と比べて少なくなったというからくり。
これが理解できていないと
「芦屋は戦前からの住民が殆どを占め、戦後の開発は緩やかで現在人口に占める流入住民は少ないといったバカ丸出しのトンデモ勘違いをする者が出てくる」
戦前の芦屋が他の都市と比較して、発展していたわけでも成熟していたわけでもない。
都心から同一距離圏の他の都市も駅から市街地として成立する圏内は同様に発展していた。
単に芦屋は市域が狭く、戦前の可住地全体面積に対して駅2km圏内のエリアが占める割合が大きかった(ー市域が狭いから)だけの話。
芦屋市の特徴(客観的な事実)
・芦屋市の世帯数は戦前の5倍に増加している S15年8000弱 H22年40000強
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/jinnkou.xls
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/heisei22nen-jinko...
・芦屋市の全世帯の7割は集合住宅である 2005年戸建11216世帯(30.5%)集合住宅25422世帯(69.5%)
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/toukeiChiri.do?method=init
・集合住宅の99%以上はここ40年で建てられたものであり相当数は震災後のマンションである
・震災で戸建の全半壊率は7割を超え、集合住宅も含めた全体でも全半壊率は5割を超えている
・芦屋市の転出率は戦後一貫して高く常に年5%以上である
・震災以前から市民の1/3が僅か10~15年程度で入れ替わる極めて住民の入れ替わりが激しい地域である
これらをどう脳内変換統合したら「芦屋は戦前や昔から住んでいる家が多い地域」になるんだw
でもね、
人口の1割生活保護の大阪民国や、ヨゴレ尼崎に住むのはいくら落ちぶれても嫌。
生活保護受けても、芦屋夫人。芦屋マダム。