- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
山の手のもともとの意味は、山の麓(ふもと)。
東京の「山の手」を見ればわかるように、本来の山の手の意味は小高い丘、
少し高くなっている高台程度の意味。
山自体を指す意味ではないし、山の斜面(山の中腹)を指す意味でもない。
しかし関西ではしばしば山の手、山手という言葉が、山の斜面地の
住宅街を指す意味で誤って使われている。
だから地名でも、かなり標高が高い山の中腹(決して山の手ではない)から
本来の山の手まで広い範囲で山手という言葉が使われている。
本来の山の手なら、駅まで歩けないとか自転車が使えないとかありえないですよ。
山の手というのは標高がそれほど高くなく平地に近く利便性も高く尚且つ閑静な
エリアの事ですから。
>>542
東京にも阪神間にも土地勘の無い人が書いてもね・・・
御影山手も住吉山手も芦屋山手駅までは徒歩5〜15分圏内だし、
東京で山手と呼ばれてる地区で自転車が厳しい地区や徒歩15分以上かかる住宅地なんてごろごろ存在する。
東灘なら○○台とか書かれてる多くの地区、西宮なら苦楽園上部や女神山上部そして柏堂以北の住宅街等は山手と言っても微妙、芦屋の奥池ならもう山麓にある通勤が出来る別荘地と言っても過言ではない。
この辺りなら環境は良くても不便なので地価も安い。
芦屋山手駅ってどこですか?
御影山手や住吉山手の上のほうはどう見ても歩けませんw
行きだけ歩ける事を徒歩圏とはいいませんよw
老人でも駅から身体に負担をかける事なく余裕で歩いて帰宅できる程度の
ロケーションだけが本当の「山の手」です
山の手というのは山の「裾野」「ふもと」のこと。
だから電車が走っているし、駅もある。
山の中腹にあたる斜面部は、もはや山の手ではなく山間部、中腹。
地名に山手がついていたら、山手と思ったら大間違い。
台や丘も同じ。台は本来は台地の意味だが、多くは高度成長期に山の斜面を
造成したとんでもない斜面地の山の中腹の新興住宅街に用いられている。
つまり誤った用法の地名などいくらでもある。
御影山手6丁目の上部、住吉山手7〜8丁目はどう見ても山の手ではありませんな。
あれを山の中腹と言わずしてなんという。
***みコンプレックスが張り付いてます・・・
確かに「〜丘」「〜台」という地名は、山林を切り開いた山の斜面地の住宅街に
よく使われていますね。丘陵地とは程遠いのにね。
古地図に載っている昔の地名や字、町名はともかく、戦後以降に住居表示制度で
つけられた地名なんて適当で軽々しくいい加減なもんでしょう。
旧地名ではないよ。住居表示制度(別名地名殺し制度)で現在の街区の町名の
大半が生まれた。住吉山手はもともと観音林だし。
山手とかなんちゃら丘とか言う地名は、明治後期や昭和初期の古地図見たら
わかるが殆ど存在しない。殆どが住居表示制度でつけられたもの。
特に山林を造成した住宅地(菟原郡=夙川〜生田川に挟まれた地域の山側の殆ど)
は、昔の村名、町名、字名はほぼ残っていない。御影町郡家などには一部残っているが。
西宮などは市のサイトでも古地図を閲覧でき、昔の地名がわかる。
今とはまるで異なる事がわかる。
みんな間違ってないようw
大辞泉 やまのて【山の手】
1 「やまて」に同じ。
山よりの土地。山のほう。やまのて。(反対語)海手(うみて)。
2 都会で、高台にある町。多く住宅地になっている。東京では区部の西側の台地の区域をいう。江戸時代は本郷・小石川・牛込・四谷・赤坂・青山・麻布などの台地の地域を称し、武家屋敷や寺院が多かった。(反対語)下町。
そうそう、市街地(都会)においては高台、台地の住宅街の事を言う意味なんだね。
せいぜい標高も数十メートル前後までの事で、決して山の斜面じゃない。
山の手ではなく山手(のを入れない)は、〔山手に向かって〕とか、山方面の方角を
さす山側という意味では使われるが、決して平地より山側にあるものや山そのものが
全て山手〜という事ではない。苦楽園中学や甲山高校を山手にある学校と言うのは
誤った用法。正確には、山の中腹にある学校もしくは山にある学校というのが正しい。
>>552
御影や住吉山手は詳しく知りませんが、芦屋では現在でも朝日ヶ丘、岩園に田畑は残り、西宮の柏堂以北にも多くの田畑が残ります。また現在は宅地化されて田畑が無くなった芦屋の阪急以北も多くは元々田畑であったし、西宮でも苦楽園や柏堂界隈も多くは田畑で、宅地化に伴い山を切り崩したのは一部の地区だけ、それでも山の中腹?
また江戸時代の芦屋界隈は江戸幕府直轄の天領であり、山の所有は許されてませんでしたし、現在の六高山も国有地。これ等の元々田畑で宅地化された地区と、山ではは明らかに傾斜も違います。
部外者がいくら山手ではないと主張しても地元住民には受け入れられません。
修正)六高山→六甲山
追筆、
芦屋の奥池と六麓荘の7割程度は例外として国有地の払い下げ。
北山貯水池付近から旧鷲林寺新田地区の一部は海底平野が隆起した地形なので、田園があったが、
苦楽園の番町から剣谷、柏堂の大部分は土石流堆侵食地ベースの荒地に江戸時代以降植林して
山林化していた地形を再度表層を剥がして宅造したもの。
間違っても元良好な水田があったような田園ではないw
岩がゴロゴロ数メートル以上堆積しており、とてもじゃないが良好な稲作を行えるような
地層ではないからな。当時の大名も**じゃないから。
だいたいウバラ郡(現在の東灘区〜芦屋市、夙川以西の西宮市)はあれだけ広い面積が
ありながらたった9000石程度だw
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/settsu_amagasaki.html
武庫郡の10分の1以下。南部の天井川流域の氾濫地だけでなく、北部の斜面地の大部分の荒地で
稲作が行えていなかった不毛の地であった事のなにより証拠がちゃんと歴史に残っているこの数字。
だからこそ(まともに稲作を行える土地が殆どなかった)皮や石などのBK賤業が栄えていたわけだが。
岡本の西側(?)で山の造成してるのが、海手から見えるのですが、
何か建つのでしょうか?緑が破壊されているのが、結構目だって気になります。