資本家は回収する側(ショッピングモールの場合は、参画する側)の人間だから、見物することはあるって意味でしょ?
なるほど。
立派な屁理屈ですな。(笑)
>717さん
私もです^^ほとんど毎日夕方狙いで行っています。主に阪急のお魚、お肉、お惣菜の割引ねらいです。服は家の格好にジャンパーですね。普通になじんでますよ。
成城石井のパンは知らなかったので今日は買おうかな、、。イズミヤのパンうりばの値引きは買っていましたが。
712
私はあなたの書き込み
***の僻みと哀れみを感じます
なんか、けなし合いばっかりですね…。西宮はイイ街やと思うけどな?
地価が高くて買えないけど、憧れの街です。あと、ここのスレは、今だに「w」を使う人が多いですね…。時代に乗ろうとして乗り遅れてるパターンですかね?
…と、けなしてみたw
【阪急商法】
日本人の大半を占める一般庶民(大衆)が上質、高級、上品といったキーワードに弱い習性を
利用して言葉巧みなマーケティングにより洗脳し、相場を吊り上げた沿線の不動産やマンションを
売りつける事で庶民世帯を「自称セレブ」と勘違いさせて販売で儲けつつ商圏に囲い込み、
商業施設を利用して家族からさらに回収する。
↑ はいはい。もういいよ〜。(笑)
阪急商法の対象外の地域にお住まいだと
地価も上がらず、セレブなんてキーワードにも程遠く、
ちょっと高めのショッピングセンターも建設されず
ネットを荒らすだけの静かな日々が送れるわけですね。
うらやましいなあ。
例えば、百貨店・デパートには一般的には高級といったイメージがある。
しかし実際にデパートに着飾って来店している(外商の大口顧客は来店しない)
顧客の人数ベースで98%以上は庶民(搾取される中間層)だ。
つまり日本において、高級、ブランドといったビジネスは、搾取される中間層を
いかに勘違いさせおだてるかというビジネスであり、背伸びしたいという庶民の
意識を利用した商形態と言える。
そのビジネスモデル導入の先駆けが阪急であったというだけの事。
つまり阪急沿線の住民は、元祖カモ。
↑ あなたも、もういいよ〜。(笑)
なんか阪急沿線に恨みでもあんのかなあ。
すごい敵意を感じるんだけど。
爆弾騒ぎとか起こさんといてね。
だいたい物件比較中ってどこの物件を比較してるんだろう
多分JR尼とか阪神沿線ぽいけど・・・
阪急沿線の住民はカモで結構ですよ
(外商の大口顧客は来店しない)って714さんの書き込み見て書いたと
思われるところが笑える
頑張っていい物件探してくださいね
そしてガーデンズには決してこないで下さい
あなたのご家族も含めて
これからは変人の書き込みはスルーしましょう♪
まぁ〜西北でもどこでもいいけど、関西人ぽい掲示板ですね。
もっと視野を広げれば・・・
西宮など阪神間って無駄にプライド高いのが多いよね。
上位1%以上の学歴も教養も知性も名声もあるエスタブリッシュメント層が
プライド高いのは日本中どこでも仕方無いが、阪神間では何のバックボーンも
ないただの「能無し主婦」や「糞ババァ」や「糞ガキ」など脳味噌の中身の無い
ただの大衆のプライドが無駄に高い
どいつもこいつも誇れるものだど何も無いにも関わらず、なぜか誇らしげで
鼻持ちならない妙な選民意識を持っている
ただの賤業主婦やババァなどのプライドが高いのは全国的に見ても珍しく恥ずかしい傾向
ニコタマや自由が丘行ってみなよ。
西北なんて屁のツッパリにもならいね。
確かにただのおばさんなのに傲慢でお高く止まっているのが多いね
阪神間全体というよりは、特に阪急沿線の山の斜面に多いけど
さらに、それを模倣するかのように私鉄各社の関連会社の不動産会社は、私鉄の延伸と呼応するように山林を造成しては、それらに高級住宅地という名称を与えている。なぜなら、高級住宅地と銘打つことで二束三文の土地が高価な土地へと化けるからだ。
それだけに、それらの高級住宅地の多くが実際には高級住宅地と呼べるのかどうか疑問な代物ばかりになっているのが現代だ。
小林一三は確かに名経営者であったかもしれないが、多くの企業経営者がそうであるようにペテン師の側面もあった。なぜなら、彼の時代から、その後もだが、阪急が分譲している多くの住宅地が実際には、高級住宅地の名称には相応しくはない代物であり、その流れに乗った私鉄各社の系列の不動産業者が分譲している住宅地も同じようなものだからだ。
では、高級住宅地の名に相応しいのはどういう住宅地なのか。
それは、住民が暮らしやすいと感じ、高額であってもそこに住みたいと思う住宅地である。故に、急傾斜地にあり、自動車に頼らねば生活できないような環境を破壊しながら生活しなくてはならないような芦屋や西宮の山の中腹の住宅地は高度住宅地ではあっても、高級住宅地とはいえない。
平坦で公共の交通手段が利用でき、その公共の交通機関でも環境に優しい鉄道が利用できる鉄道の駅に近い住宅地こそが最利便の住宅地である。
しかし、それだけでは人間は生きてはいけない。医療の充実が不可欠だ。先日の東京の妊婦の死亡事故もそうだが、医療が適切に受けることができないような地域はとても人間が安全に生活を営める住宅地ではない。医療体制が確立され、医療不安に駆られることなく生活ができることが高級住宅地には必要だ。
また、日々の生活の利便性も必要である。日々の日用品や食料品を容易に確保できなくては優良な住宅地とはいえない。容易にとは、徒歩または自転車での買い物が可能であるということだ。自転車はこれからの環境を考える上で最も優良な交通手段である。使用するのは人間の体力であり、人間が呼吸に使うCO2は自動車などとは比較にならないほど小さいからだ。また、人間が体力を使うことは適度な運動が伴うことであり、徒歩と自転車によるサイクリングは有酸素運動であり、人間によりよい効果を生む。それらが叶う環境こそが、至上の住宅環境である。
とはいえ、人間が呼吸するのに適していないところでの呼吸は害になる。大気が汚染されておらず、緑化された低層の住宅地が望ましい。そして、四季の移ろいが楽しめるような山々の遠景が望め、身近にも多く緑があり、四季の変化を肌で感じられることが望ましい。
そういう面から考えると、現代の高級住宅地が如何に優良な住宅地ではないかが如実にわかる。
我々日本人は、マスメディアや大手企業が流すトレンドという名の幻惑から目覚めなくてはならない。