どなたかもおっしゃっていましたが、ここは新百合ヶ丘としては比較的お値打ち物件でした。これから出てくる物件は時期が時期だけにここよりも手の出にくい高額物件になるかもしれません。ここが将来、お値打ち物件だったことで、イコール、住民や親の質が悪い、などということにつながらないとは思いたいです。みんなが互いの立場だけを主張して、仕方がないとか、勝ち負けのような判断をつけるよりは、世の中で当然と思われるべきマナーは守って、その中で、互いに気を配りあうようにして、あそこは、比較的よいコミュニティがあるマンションといわれるようになりたいですね。
いやな例をだしてしまいますが、新百合ヶ丘周辺はバブルの時期に都心から多くの方が移転されてきました。その方たちが王禅寺周辺に邸宅を持ち、駅前が賑わうとともに、郊外のおしゃれな街といわれるようになりました。そのようなイメージでここを選ばれた方も多いのではないでしょうか。さて、バブルの時期にはそのような邸宅とまではいかないけれどお手頃の価格でというわけで、バス便の大規模マンションもできました。お子さんがいるファミリー世帯には人気だったようです。しかし、いま、そのマンションが売るに売れない「シンユリの貧民窟」とまで揶揄されるようになっています。ニュータウン的なところに開発されたファミリー向けマンションは年代が経過するにつれ、このような経路をたどっていくことがままあるようです。
せっかくのマンションが将来、そう呼ばれるか呼ばれないか、結構、住民自身の良識にもかかっていると思います。
何が良識か、というのは難しい問題かもしれませんが、ひとりひとりがそのことを自分の胸のうちで考えておくことは大切ではないでしょうか。