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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
>>231
おっしゃる通りだと思います。
いじめっ子に必要なのは、
ありのままを受け入れてやることです。
存在そのものを肯定してやることです。
罰はその正反対、いじめが巧妙になるだけです。
>大体、そういう問題ありな子に根気をもってつききりで誰が教えるのかな
社会全体で取り組んでいかないと、いたるところで犯罪が多発し、
殺伐とした社会に…もうなりつつありますね。
そうですね。
一番大事なのは自分自身の存在感。
周囲の人間に受け入れてもらわないと存在感は得られない。
いじめ、自殺、非行、暴力、虐待、犯罪を犯す人は子供のころから存在感が薄かったのでしょう。
【赤ちゃんの頃】は母乳を与え、泣いたら抱いてやる。
【幼児期】は甘えたいときはたっぷり甘えさせてやり、ダメなことはダメと教える。
【学童期】は自分で考え、行動することを教え、
失敗したときは慰めて励まし、成功したときは共に喜ぶ。
不幸にも親から上記のことをしてもらえなかった子には、周囲の人間が育て直してやる必要があります。育て直しは何歳からでも出来ます。(成人でも)
育て直しをてくれる親戚、先生、施設団体があればいいのですが・・・。
絵本の世界では擬似体験ができます。子供は主人公と共に沢山のことを体験し、感じ、考えることができるでしょう。
私の子供は小学校高学年でもう自分でも本は読みますが、まだ読み聞かせは続けています。
理想と現実のギャップはあるでしょう。
でも理想を追求しないで諦めてしまってては前進できませんよね。
>教師の資格がそれだけ(人間性、社会性無視)で取れちゃうから、
>変態教師や、ダメ教師が沢山いるのね。
そうですよ、だから学校任せはダメだということです。
>まじめにレスする気がしなくなって来ました。
現実が見えたようですな。良かった
>【赤ちゃんの頃】は母乳を与え、泣いたら抱いてやる。
母は産後重病になってしまい、私は母乳を一度も与えられませんでした・・・
246さん、あなたはお母さんからの愛はもらいましたか?
>【赤ちゃんの頃】は母乳を与え、泣いたら抱いてやる。
ここの「母乳」という意味は親としての愛情のことだと思いますが。
病気が治ってからはいっぱいいっぱい愛をもらいましたよ。
でも母乳を知らないんです・・・なんか悲しい。
>不幸にも親から上記のことをしてもらえなかった子には、周囲の人間が育て直してやる必要があり>ます。育て直しは何歳からでも出来ます。(成人でも)
>育て直しをてくれる親戚、先生、施設団体があればいいのですが・・・。
それを今まで日本の少年法はしようとしてきたんですよ?
育ちのせいで人格がゆがんでしまったとしたらそれは少年の罪ではないとして。
そうして教育を通して更正させ(どうも罰という言葉を毛嫌いしている人がいますが、罰を受けることによって)まともな社会人にさせたいと。
どうしても理解していただきたいのは、加害者の更正を第一目的にしていると被害者に目が行かなくなることです。
加害者を立ち直らせるために、被害者がさらに増えることも少なくありません。
更正できたと思っていてもできていなくてさらに同じことの繰り返しということの多いこと。
理想と現実といいますが、その理想は加害者の側にしか立っていません。
また何だかんだ行っても何もいじめっ子をまともにするための策がなければそれは理想ですらなく夢想にすぎません。
絵本は私もとても良いと思います。疑似体験できるし他人の気持ちもわかる子になるでしょう。
で?それで?
いじめっ子が絵本(の時期は通りすぎているでしょう)を読むようになるのでしょうか?
>育て直しをてくれる親戚、先生、施設団体があればいいのですが・・・。
少年刑務所とその後のフォロー
少なくとも中学校になれば自殺に追い込むようないじめをしたものには殺人と同じくらい
罪の重さをわからせることが必要。
そうですか。249さんの悲しいお気持ち分かります。
248さんのおっしゃるとおり、母乳は母親が初めてわが子に与える愛情の象徴ですよね。
だからわが子に母乳をやれなかったお母さんの方がもっともっとお辛かったでしょうね。
その分いっぱい愛をもらえて本当によかったですね。
母乳に限らず、子育て中は頭では分かっていても、つい叱り過ぎたり
子供の傷つくような態度をとってしまったり・・・
親も人間ですから理想どおりにはいかないことは多々ありますよね。
でも完璧でなくていいと思います。『お母さんだって失敗はする。』それはそれで
子供は安心するでしょう。自分が失敗した時も素直に話してくれると思います。
さて、いじめについてですが、いじめる側に全て問題があって、
いじめられる側に問題は無い。それはその通りだと思います。
でも『いじめられて自殺までする子』には大いに問題があると思います。
>いじめっ子に必要なのは、ありのままを受け入れてやることです。
具体的には? いじめっ子にどうしてあげるの?
>自分も親として、子ども達の周りの大人として積極的に関わっていきたいと思います。
具体的には? いじめっ子にどうしてあげるの?
>でも『いじめられて自殺までする子』には大いに問題があると思います。
でもいじめる子に全て問題があるのに結果が自殺になるといじめられっ子が悪いということになるのでしょうか?
まあ、もっとも死んではいけないということをもっと教えたほうがいいとは思いますけどね。
命を大事にということなら生きているものも大事にといじめっ子に教えるのももっと大事です。
しかし「大いに問題があると思います」というのはなかなかのセリフですよ。
それは自殺する子が悪い?とか自殺した子がいてもいじめた子にはその責任(自分のいじめで仲間が死んでしまったことに対する)は全くないということですか?
自殺する子は悪い子です。いじめをする子はもっと悪い子です。
どちらも悪いのです。
そしていじめた子の親も自殺した子の親も悪いのです。
両者の親はどうして子供の命の叫びに気づいてやれなかったのか。
ちゃんと命の大切さを教えてきたのだろうか。
私は人の親です。
自分の子には人の命を奪ってはいけない、そして自分の命も大切にしなければいけないと
常に教えています。教えても教えても正直不安はあります。
だから出来る限りのことをするのです。
まず自分の子は責任を持って人をいじめるような子にしない。
そして自殺するような子にしない。
特効薬なんてありません。
毎日毎日の積み重ねです。
それが親の責任です。
>絵本は私もとても良いと思います。疑似体験できるし他人の気持ちもわかる子になるでしょう。
で?それで?
いじめっ子が絵本(の時期は通りすぎているでしょう)を読むようになるのでしょうか?
他人の気持ちが分かるように疑似体験を通して人の気持ちが分かる訓練をするのです。
絵本は自分で読むのではなく読み聞かせるのです。出来れば母親や父親が子守歌を歌うようにゆっくりとやさしく。何歳でもいいのです。
あなたは絵本をゆっくり読んだことがありますか?
私は子供に読み聞かせながら自分も学んだことが沢山あります。それに癒されますよ。
毎日毎日の積み重ねですね、本当に。
小さな命をこの胸に抱いたその日から、親の責任が始まっているのですね。
幼い日々が過ぎ去り、中高生になり反抗期を迎え親の言葉さえ疎ましがる子供たちに
今出来ることはないでしょうか・・・
多かれ少なかれ悩みや不満やイライラを抱え、それを弱いものに向けてしまう子には
どうか一度、ゆっくり聞いてみてやってください。
親が忙しがり面倒くさがりあきらめた態度でいると子どもは話もできないですから。
どんな悪ガキでも親が真剣に自分のことを考えてくれると知ったとき
ポツポツと話し出すと思います。そして共感してやり穏やかな心にしてやりたいものです。
そうすれば人をいじめることはしなくなると信じたい。
それも、親がやらねばならない日々の積み重ねではないでしょうか。
>256
書いてあることはその通りなんですが、致命的なのは自分のこと、自分の子供の話だけですね。
>あなたは絵本をゆっくり読んだことがありますか?
勿論です。私の子供は絵本大好きっ子ですから。
それに絵本の重要さあるいは有効性は私にとっては当たり前のことです。
こういうことが当たり前の親や家族と、そうではない家族がいることがわかってますか??
256に書いてあることは私にはごくごく当たり前のことです。
で、それで?
とやはり聞きたくなりますね。
世の中には色々は人がいるということを本当にわかってますか?
絵本だけでく、成長につれて色々は本を読みましたか?
あなたがたとえ社会や現実を知らなくても、本からもっと色々な人間がいることを、世の中にはとても弱い存在のものもいることを知ることができたはずと思うんですけどね。
>自殺する子は悪い子です。いじめをする子はもっと悪い子です。
>どちらも悪いのです。
どちらも悪くてもいじめをする子がもっと悪いのですね?
もっと悪い子がいるのにどちらも悪い子ではすまされません。
>出来れば母親や父親が子守歌を歌うようにゆっくりとやさしく
ああ、もしかしたらこれがいじめっ子対策だったのかな。
まあ、しかし現実離れもいいとこかと。
いじめっ子の親子が中学生や高校生にもなってこういうことができる親子ならそもそも問題児にもなってないと思いますがね。
くれぐれもいいますが、あなたの書いていることはごく常識的な親子には当たり前のことです。
問題のある家族にはそれが常識でないということが問題なんです。
自分の場合、女子からの無視と男子からのバイキン扱いだった。
小6の時は、クラス全員が敵だった。
先生が仲介に入っても、何も変わらなかった。
小6からはじまって、
高校生になっても男子からは、道で会うと暴言はかれたよ。
中一の時に、担任がいじめについてのアンケートを取って、
気づいてくれたけど、みんなの前でやめなさいって言ったり、
面談の時に自分の親に言ってくれたけど、
惨めな気持ちになるだけだった。
いじめっ子には、二度と会いたくないし、一生許さないから、
誘われても同窓会には行かない。
>>254
小1の息子はよく☆☆君と遊びます。
その☆☆君は以前学校でライターを所持し紙切れに火をつけて遊び
先生方にマークされているのだそうです。
息子と遊ぼうと約束したお母さんから聞きました。
「だから☆☆君とは一緒に遊ばせたくない」
☆☆君は小3で、上にお姉さんが二人。
親が離婚してからはケーキも買ってくれなくなって寂しいのだそう。
お母さんも最近乳がんの手術をして退院したばかりだという。
9時に家に来るのが11時半に来た。
昨日、帰りが遅くなったのを親に怒られ続け3時まで起きていて
朝起きられなかったという。
☆☆君と付き合わせたくない!というお母さんの気持ちも分かる。
息子もややもすると悪い遊びに手をだすかもしれない。
でもそれは自分も見守りながら
大きな間違いのないようにしていけばいいと思う。
先入観や決め付けで子どもを色眼鏡で見ることなく、
家に来たときには☆☆君の目を見て、
じっくり話しを聞いてやりたい。
☆☆君だけでなく、近所の子ども達にもできるだけ
話しかけていきたいと思います。
色んなこと教えてくれます。
…具体的にそんなことです。
>>265
そういうことなら良くわかります。
ごく身近な周りのことだけのことではありますけど。
でももっとひどいいじめっ子がいたら?
自分の子供がそういういじめの対象になったら??
これだけ問題になっていても、当事者じゃない人には結局遠い世界のことかもしれないなあと思います。
それで当事者でもないなら、自分の親子関係や子供をまともに育てることに専念でもいいかもしれませんね。
でもだからいじめられっ子にも問題があるだとか、いじめっ子をそのまま受け入れようだとか
そういうキレイゴトで話をすませないで欲しいとおもいます。
あくまでご自分の周りで予防的にがんばりますということにすぎません。
強い意思の持った子ばかりではないです、いじめられる子は弱い子と思いますがなぜ悪者扱いされるのでしょうか。
死んでいく子は、考えられないほどの苦しみがあったと思います。
そのかわいそうな子を悪いと批判する、冷酷な人がいるとは残念です。
いじめは、絶対してはならないこと、卑怯なこと、人間として一番醜いことを批判すべきと思います
いじめられる子を悪者扱いなどしてしていませんよ。
【悪い】という言葉にも色々な意味があるでしょう?
自殺した子はいじめられて私たちの想像では計り知れない苦しみがあったと思います。
でも絶対死んではいけないのです。
自殺した子に同情するのは分かります。
でも自殺を美談にしてはいけないと思います。
269、270です。
くどいようですが
私はいじめられる子が悪いとか問題があるとは一言もいっていませんよ!
「自殺する子」と言ったので誤解を招いているなら訂正します。
【自殺する行為】に対し悪い、問題があると言っているです。
以前も書きましたが私は小・中学時代にいじめられっ子でした。
長くなりますが当時の私が考えていたことを書きます。
小学校時代はいじめられても自殺は考えませんでした。
自殺そのものが思考の中に無かったような気がします。
中学時代は毎日のように自殺を考えてました。
高校に入って環境が変わりいじめられなくなりました。
で気づいたこと。 (あくまで私の場合です。)
「死ぬまで(生きてる間ずっと)いじめられ続けるわけではないんだ」
「今までがいじめっ子の居る環境だっただけなんだ」。
さらには「いじめられてオドオドしてるといじめっ子を刺激する」。
(これは中学時代にかばってくれた学級委員の女の子の台詞でもあります。
当時はそれどころじゃなかったし そう言われてもどうしたらいいのか
自分のどこがオドオドしてると見えるのかわかりませんでした。)
そして「いじめられてるのも辛い思いしてるのも自分だけじゃ無い」と
考えるようになりました。
自殺を考えていた頃 自分の周囲より広い範囲での
他の人について考えをめぐらせる余裕なんてまったくありませんでした。
「何故いじめられるの?」「何故(いじめられるのが)私なの?」
「私が何をしたって言うの?」「私にどうしろって言うの?」
「みんなは楽しそうなのに何故私だけがこんな目に遭うの?」
自分自身の性格や考え方についても考えてましたが
「悲劇のヒロイン」っぽい部分があったのも事実です。
いじめられてる時などは深く考えるほど思考は暗い方向へ進むんです。
で 自分と周囲についてはどんどん突き詰めて考えるけど
広い範囲の他人について考えることは出来なくなっていくんです。
だから「自分だけが」って考えにおちいりやすいんですね。
そして「救いをさがす」という前向きな思考ができるうちは
自殺なんてしなくてすむんです。 考えの中の世界が
どんどん狭くなって同時に自分をさらに追いつめるので
どんどん前向きな思考もできなくなるんです。
で逃げ道として死ぬことを考える、死なない限り
この状態から解放されないと思いこむ・・・。
「死んで(自殺していじめられっ子を)喜ばせるのはシャク」
「いつか見返してやる」と考える強さがあれば自殺しません。
逆に復讐にとらわれて将来犯罪を犯さないようにしなくては
なりませんけど・・・。
いじめられて孤独感にさいなまれ続けた中学時代
朝一の学校の教室で放課(休憩時間)に色々な本を読みました。
時間つぶしと同時にある種の現実逃避です。
家で学校について聞かれていじめられてるのがバレるのが嫌で
上履きを隠されたり机にいたずらされるのが嫌で
朝一で学校に行くんです。 で授業中以外は
いじめのきっかけを作らないように本を読むんです。
そして授業が終わったらすぐに帰宅して
また本を読みます、親が声を掛けにくいように・・・。
読んでいたのは主に歴史物、父が持っていたもので
大河ドラマの原作になった物がほとんどでした。
おかげで母には「頭でっかちの文学少女」と言われ
「大人に対して生意気なことを言わないように気をつけなさい」と
よく注意されました。 でも本から学んだこともあります。
直接ではなくても「自殺は罪、自分も周りも誰も救われない」
「自殺して「弱い奴」と言われても死んだ後では反論もできない」
ということも・・・。
いじめられて自分について考えて本を読んで・・・結果として
相手の考えや行動パターンを読み取ろうとするようになりました。
高校時代 「今こう考えたでしょ?!」と友達に言うと
たいてい当たりました。 嬉しい(得意)ような寂しいような
これがきっかけで嫌われないか不安なような複雑な心境でしたね。
さらには嫌み・皮肉が得意になり 裏を読んだり
深読みするのが上手くなり 表現が多少キツくなりました。
もちろん相手と場合に応じて調整してます、昔も今も・・・。
でもキツくなりがちなのはどうしようもなくて
後で落ち込んだり反省したり言葉を補ったり訂正したりしてます。
だから今回も「あくまでも私の場合」で読んでください。
表現のキツさと極端さはスルーしてくださると嬉しいです。
とりとめもない書き方になりましたが
いじめられっ子と自殺を考える子の心境を少しでも伝えられたらと
思ったので・・・。
>【自殺する行為】に対し悪い、問題があると言っているです。
ですな、もっと言うなら【自殺する行為でしか親に示せない】ようにしてしまった親に対し悪い、問題があると言っているです。
いじめ自殺について
自殺するくらいなら何でもできるやろ!と思うのは
心が健康なときに思うこと。
長い間いじめが続くと
・恐怖、不安
・無力感
・選択肢がない
という心理状態になり自殺に追い込まれる。
そうなる前に、日ごろからコミュニケーションをとること。
話の聞き方について、
「いじめられてる」と子どもが言ったとき、
それは「いじめ」と認める。
「気のせいじゃない?」などとは絶対に言わない。
もう話さなくなる。
「話してくれてありがとう」という気持ちを言葉で伝える。
子どもの脈略を無視した話に信憑性が感じられなくとも
「あなたの言ったことを信じる」という姿勢を表す。
「あなたが悪いんじゃない」と何度も言ってやる。
しかし、子どもはなかなか親には話さないということ。
何故ならいじめられるのは自分自身とても情けないこと。
いじめらる自分に非があるのでは?とも思ってしまう。
そんな情けない自分を親に言えない。
いじめ自殺で亡くなった大河内君は親に心配かけまいと
いじめで壊された自転車を問われたとき
笑って「大丈夫!」と言った。
そして自らの命を絶った。
なので
・食べること ・寝ること が出来ないように
なればそれは余程深刻であること。
それは何をさておいても、親は感知しなければならない。
しおんさんのお話はやはり体験談としてググッときますね。
本を沢山読まれただけのことはあって文才がありますよね。
見習いたいです。
>>274
私も小学生の頃、一部のグループに目をつけられていた時期がある。
幸い、クラス全員が敵にまわるような事態にはならなかったけど
人目に触れない陰湿な攻撃に毎日晒されて、学校に行くのが苦痛だった。
自分がそういう境遇に立たされている事を認めたくない気持ちもあったし
なんとか我慢することはできていたたから、親にはなかなか言えなかった。
でも、苦痛が蓄積されていくうちに、それこそ寝食にすら影響するようになった。
ある朝、「もう学校には行きたくない」と堰を切ったように泣き出した
私を見て驚いた母親が、担任に手紙を書き、直接会って話をしてくれた。
母の性格から言って、相手に大声で詰問するような事はなかった筈だけど
数日後にはそのグループ全員の母親が学校に呼び出され
担任との話し合いに臨んでいた事から察するに、それなりに強い言葉での
申し入れがされたんだと思う。
その「話し合い」の日を境に、私への攻撃はパッタリと止んだ。
お互いに理解しあえたとかそんな事ではなく、明らかな「抑止」だと思っている。
最終的に私が救われたのは、貴方が言うように親が事態に気づき
問題を共有してくれたからであって、少なくとも私と相手との関係が
自然に改善されたからではない。
だからこそ言いたい。きれいごとでは何も解決されないんだ、とね。
貴方は『いじめっ子に必要なのは、ありのままを受け入れてやること』と
仰っているけれど、私には意味がまったく解らなかった。
思いつきによる発言でないのであれば、是非とも掘り下げていただきたい
意見だと思う。
いじめっ子がいじめっ子になってしまった背景というものは、別の問題として
あるとは思うけれど、いまこの瞬間「現実」に晒されている子供にとって
そんな事を考える意味など何一つ無いと断言できる。
そこは当事者になってみないと解らない事だと思う。
>『いじめっ子に必要なのは、ありのままを受け入れてやること』
私はままん侍さんのおっしゃることは間違ってないと思いますよ。
276さんはいじめに遭った側の意見として理解できます。
しかし、ままん侍さんは両者の立場で考えを述べてられるのでしょ?
もし私の子供がいじめっ子になったら子供を叱責するでしょうが、
それ以上に自分の育て方が悪かったと反省し、
どうしていじめをしてしまったのか子供と一緒にもがき苦しみながら考えます。
いじめをする子は心が病気なんですよ。
それは大人が治してらないといけないんです。
それが大人の責任なんです。
いじめっ子であろうが非行少年であろうが子供は大人に守られ、
更生させて社会に出さなければいけないのです。
>最終的に私が救われたのは、貴方が言うように親が事態に気づき
>問題を共有してくれたから
いじめられたあなたがこうして救われたように
いじめた側の子もこうして救われたのかも知れませんよ。
となりのクラスの女の子がいじめに遭い、学校に行けなくなりました。
先生に相談したら親同士で話合われてはどうですか?といわれ
相手の子の家に電話したそうです。
そしたら
相手の親はそんなことあるわけが無い!と怒鳴り、
先生に事情を聞いてくださいというと
今度は『自分の子は中心人物ではなくいじめをやらされていただけ』
と言い張る。
あげくの『果てにお宅の娘さんには3M以内に近づくなと言っておきましたから
もう問題ないでしょ!!!』
と言われたそうです。
『いじめっ子をありのまま受け入れてやれない』親です。
【訂正】
あげくの果てに『お宅の娘さんには3M以内に近づくなと言っておきましたから
もう問題ないでしょ!!!』
と言われたそうです。
これこそ『いじめっ子をありのまま受け入れてやれない』親です。
>あなたは当事者なのですか?
>当事者じゃないなら、あなたこそこのいじめ問題に具体的にどう行動を起こしているのですか?
当事者じゃないからこそ、あなたのように自殺する子が悪いだのいじめっ子をそのまま受けとめようなどと軽々しく言いません。
当事者じゃなくても、そういう言いようの無神経さには腹が建ちます。
あなたこそわからないのなら、そういった発言を軽々しくすることに対して、うかつだったと思わないのでしょうかね?不思議です。
>いじめをする子は心が病気なんですよ。
心の病気=脳の病気
脳の病気=精神疾患
身内でもがき苦しむだけでは駄目。
精神疾患がある場合、適切な治療が必要です。
いじめは病気、酷い場合は隔離する。
それぐらいの事をしないと減らないでしょうね。
>279
結局親もろくでもない、問題のある家庭。
そういう親は受け入れるどうのの問題以前。大体、被害者への手前の言い方だったかもしれない。
こんなのでいじめっこを受け入れれば問題なくなるだなんて言わないでほしい。
ここって自作自演がいますかね?
276さんのほうがずっと簡潔、要領を得た内容ですね。
一つ聞きたいのですが、いじめっ子は受けとめればいいという人。
いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか?
自分の病気(いじめ)さえ治ればそれで解決?
「お母さんの肌って、なんて気持ちいいんだろう」
とか、「お父さんのひざの上にいると気持ちいいなぁ」、
そんな愛されている体験をたくさんすることが大切です。
いじめられる体験、たとえば「お前なんて、ばかだ」
といわれてショックを受けるような体験をした場合、
愛されている体験に比べて、
いじめられる体験というのはなんて悲しいんだろう、
と相対的に理解するわけです。
人間の感情は純粋な感情ではありません。
全部相対的な感情です。
人を愛するということが分かっている人は
逆に人を憎むという感情だってわかっています。
悲しいという体験が分かる人は、
反対に喜ぶとか嬉しいと言う感情もわかっている。
しかし、先天的にあるのではなく
相対的に体験を通じて理解し、学習するものです。
いじめられていた子が、学年が変わってグループも変わると
いじめっ子に変身する、ということがあります。
大人は「お前はあんなにいじめられて悲しい思いをしただろう。
辛かっただろう。それなのにどうして人をいじめるんだ。
人の悲しい気持ちがわからないのか」
と説教するけれども、いじめられて悲しいという体験はしたとしても、一方で、
愛されて気持ちいいという体験をしていなかったら、その子はふたたび悲しい思いを
しないために人をいじめるしかないわけです。
その子どもの心の中には悲しいという体験を否定する
もう一つの感情、つまり嬉しいとか気持ち良いとかいう感情が育っていないわけです。
そういうときには、悲しい体験を再びしないために、自分をいじめられる立場から
抜け出させるしかないわけです。それを否定する感情がないからです。
by「キレる子、キレない子」〜精神科医からのメッセージ 石田一宏著
>いじめっ子であろうが非行少年であろうが子供は大人に守られ、
>更生させて社会に出さなければいけないのです。
いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか?
自分の病気(いじめ)さえ治ればそれで解決?
いじめっ子が一生消えない傷を負ったとしてそれはどうするのですか?
どうも違和感を覚える原因はいじめられた子の傷に対して何も発言がないことですね。
いじめっ子もある意味被害者というのはそれでもいいですが、でも加害者として誰かをひどく傷つけたという事実は決して消えないのです。
もし自分の子供がいじめによる自殺ではないにしろ、心の病の子に殺されたら決して許すことはできません。
他人の人生を奪った人間が、加害者なのに更正して社会に出て自分だけに自分の新しい人生をやり直すチャンスが与えられるなんて許せません。
やり直す人生は一生償いの苦しい人生を送るのが当然の報いです。
>いじめっ子が一生消えない傷を負ったとしてそれはどうするのですか
いじめられっ子がの間違いです。 すみません。
いじめられっ子がいじめっ子になるというのは決して多い確立ではなく、そういうパターンも多いくらいじゃないかと思いますが。
もともといじめっ子はいじめっ子というほうが圧倒的に多いのでは?
いじめっ子といじめられっ子の立場が入れ替わることがあるからといって、両者を同列には並べることはできないと思います。
いじめられる子もいじめられる子で終わることのほうが多いでしょう。
それで自分がいじめっ子になることもあるからといっていじめっ子の更正だけで話が終わるのでは
ひどいなあと思います。
つづき
いじめる子は、いじめられるような体験をしてきている。
いじめられたのは友達にいじめられたということとは限りません。
家庭で父親や母親に殴られたとか、教師の体罰があったとか、いわば勝つか負けるか、
勝たなければ悲しんだというようなパターンを学習してきているわけです。
そういう子は他の子をいじめていますから、
周りから、さらに「いじめちゃ駄目だよ」と
怒鳴られるわけで、ますます愛されることが少なくなってしまうのです。
だからいつまでも
いじめっ子であり続けようと努力するわけです。
最近は先生達の中でも、「いじめてる子も
抱きしめてやらなきゃいけない」とよく言われますが、
本当にそうだと思います。
愛される体験が少ないわけですから。
人間と言うのは、生まれたときから愛させるように遺伝されています。
赤ちゃんはかわいいでしょう。
こちらがわらいかければニコニコとこたえる。
あれはニコニコと笑顔を振りまこうと意識しているわけではないのです。
子どもというのは大人がかわいがりたくなるようにかわいく生まれてくるわけです。
これは、人間の進化の一つだと思います。
また、大人と子どもを結ぶ数少ない先天的
コミュニケーションの貴重な方法だと思います。
それはそのほかの動物にも言えるかもしれません。
つまり大人から愛されることを予定して子ども達は生まれてくるのです。
大人から殴られるとか、寂しい思いを
させらることを予定していないと思うのです。
それで必死になって笑顔を振りまいて、
笑顔を振りまくから大人も一生懸命に愛して、
そうやって愛されるということの
快感を子ども達自身がちゃんと体得できるように、
かわいく生まれてくるわけです。
そして子どもは愛されて、人を愛せるようになる。
そういう関係だと思います。
それなのに最初の段階で大人を警戒しなければいけないとか、
大人を怖がらなければならないということを学習するとしたら、
それはずっと尾を引きます。
虐待された具体的場面などは忘れてしまうのですが、記憶の隅っこのほうに
恐怖のイメージは残り、ものの考え方あるいはとらえ方として、前頭葉の働きに
影響を与え続けるのです。
だから先生方が、一生懸命「お前を好きなんだよ」と言ってやっても、なかなか信用しない。
あるいは「友達同士、もっと信じあっていいんだよ」と言ってもなかなか信じない。
そういう寂しい心のまま小学校とか中学校へきている子もいると思います。
その子たちはそれまでに裏切られた体験みたいなものを多く持っているのだと思います。
だからそれを乗りこえるためには、その子自身が、いっぱい愛されて、自分もまた人を
愛して気持ちいいという体験をあふれるほどたくさん体験しなければならないのです。
・いじめ撲滅
・自殺阻止
・いじめる側に問題があっていじめられる側に問題はない
以上のことは皆さん共通の思いですね。
被害者側に問題はないのに、被害者のことについて話あっても意味ないでしょう。
(被害者からの相談があれば別ですよ)
やはり問題のある加害者側をどうするかが論点だと思うのですが・・・
そこで意見が分かれているのが
①加害者も子供なんだから更生させてやる。
②加害者には罰を与えて隔離する。
ということでよろしいですかね。
>いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか?
させるに決まってるじゃないですか。
更生させるために!
>他人の人生を奪った人間が、加害者なのに更正して社会に出て自分だけに自分の新しい人生をやり
>直すチャンスが与えられるなんて許せません。
ではあなたは罪を犯した人間は全て死刑にしろとお考えですか?
>どうも違和感を覚える原因はいじめられた子の傷に対して何も発言がないことですね。
確かにそうでしたね。ごめんなさい。
もちろん何の罪も無いのにいじめられた子に対しては深く同情しますし
死なずに何とか乗り越えて欲しいと思っていますよ。
でも293(私)で言ったとおり
問題のあるいじめっ子を一人でも無くしていくことをまず考えないと
いじめの撲滅はありえないでしょう?
ある学校の生徒がいじめを題材にした劇をしているのをニュースで見ました。
いじめ撲滅に効果があるとおもいます。
いじめは卑劣、卑怯な行動、絶対してはいけないことを学校にてキャンペーン等で広めてはどうでしょうか。
>>277
>>両者の立場で考えを述べてられるのでしょ?
私は、274さんが仰る事を「間違っている」と言っているのではなく
意味が解らない、と言っているのです。
同じ学校に通っていて、否が応にも毎日顔をあわせる相手から
暴力を受けたり物をとられたり等々している状態において
『ありのままを受け入れる』
というのは具体的にどういう事なのか? という事がイメージできない。
我慢するべきだとか、やられたらやり返せと言われた方が
まだ解る気がするけれど、そういうことでもないようだし。
「両者の立場で考える」という貴方のお話についても同様。
この手の話をするにあたって、相手の立場に立つという事に
どれほどの重要性があるというのかが、私には解らない。
当時の私も、相手に対して「更正」やら「反省」やらを求めるほどの
気持ちの余裕はまるで無かった。
ただ単に、「もう自分には構わないでくれ!」と望んでいただけ。
いくら止めてくれと言っても止めて貰えない恐怖。
それから解放されることだけが全てだった。
学校というのはすごく狭くてクローズな社会だけれど、その中でも
すべての関係者が理解し合う事なんて不可能だと思う。
大人になって社会に出た今となっては余計にそう思う。
人を憎む事と人を否定する事とは別なのであって
価値観が違う者、ウマが合わない者、センスや思考の異なる者が
集まったって「憎しみのない社会」を構成する事はできるのだ。
なのに、そういう個人差はさておき皆さんとにかく仲良くしましょうね、と
いうのが、いまの学校教育のような気がしてならない。
「相手のすべてを受け入れましょう」というのも、私の耳には
どうしても同義に聞こえてしまう。
出来もしない事を信じて真実を見失ってしまうよりも
「超えられない壁」の存在を認識しながらベストを尽くした方が
自分にとっても他者にとっても、ずっと良い結果をもたらすと思う。
同級生をいじめる者の背景を理解し、すべてを受け入れて
一緒にもがき苦しむのは、少なくとも「いじめられた側」の者に
強いられることではないし、逆に「いじめた側」も、その事だけで
人としての存在までをも全否定される必要は無い。
社会には「してはならない行為」というものがあるのであって
単純にいじめもそのひとつだと思う。
罪を憎んで人を憎まず、ではないけれど・・・まずは行為を行為として
きっちり罰し、抑止する事が大切なんじゃないかと。
当時の私にとっても、母や教師が動いて「相手の親」を抑えて
くれた事が一番ありがたかった。
その「相手の親」も、いじめの当事者である子供達をコントロール
してくれたという事だと思っている。
絵本、絵本と言って、加害者の対処が論点では?
と主張している「匿名さん」です。
ややこしいのでハンドルネーム変えました。
一晩たって加害者側のケアと同時に被害者のケアも
皆さんと考えた方がいいと思うようになりました。
ただこれからも人の親として、いじめ更生と自殺は悪い
という点は譲らず主張していきたいのです。
よろしくお願いします。
レスする時間帯をみるとだいたいその人の生活パターンが
読めますね。
でも出来れば子持ちかどうか教えて欲しいです。
子育て経験があるか否かで考え方は全然違うと思うので
これまでのレスに対して「自分の子供のことはどう思ってるのだろう」
と疑問に思ったことが多々ありました。
(ままん侍さんはお子さんがいらっしゃるでしょ?)
私は小学高学年の子がいます。
小1の息子、小3の娘がいます。
そうですね。
「ありのまま受け入れる」
と言った表現も親で、そうしたことに感心のある方なら
スッと入ってくる言葉ですが
そうでない方には説明不足な言葉であったかなぁと思います。
前のスレで私も書きましたが
親としては自分の子が加害者にも被害者にしたくありません。
一方的に加害者を切り捨てようとされる方は
お子様がおられないか、もしくは我が子は絶対加害者にはならない!
とお考えなのかもしれませんね。
くだらん
いじめなんて昔からあった事。
20年前は?30年前は?
あっただろ。カツあげ、仲間はずれ等。
それが最近はすぐ死にやがるから、問題になっただけ。
それだけ弱くなってるってことだろ、精神的に。
それとも輪廻転生を信じてやり直そうと思っているのか。
それをいじめるのが悪いだの、いじめられる側にも問題があるだの
何言ってんの。いじめと言うより命の大切さがわかっていないんだよ。
いじめられたら、逃げればいい。
学校辞めたって、、転向したっていいんだよ。
無理にそこに行く必要は無い。
死しか選べない状況ってなによ。
親にいえない?親に心配かけたくないから?
本当にそう思ってりゃ死なねエよ。
死んだらどれだけ親が悲しむかがわかっていねえから、
**るんだろ。
所詮自殺する奴は最低で身勝手な者。
非があろうとなかろうと、そんなことをする事態が
どれだけ親を悲しませるかわかっていねえんだから。
>非があろうとなかろうと、そんなことをする事態が
>どれだけ親を悲しませるかわかっていねえんだから。
子供がわかるだろうか、しかも追い込まれた子供にそんなこと考える余裕あるだろうか。
↑
だから、わかるように教えていこう
余裕を持てるように教えていこう
ということでは?
イジメはなくならないんだから
被害者の心の教育を主にすべきだ(自殺しないような)。
>>306の言うとおりだよ。
今急にいじめ問題って言ったからって
すぐになくなるわけ無い。
もっと命の尊さを知り、
自分の周りにいる自分のことを愛してくれている者の存在を知り、
そう言う人の中に自分がいることを知って、
自分が強くならなきゃいけネエだろ。
今までROMに徹してたけど・・
私は小学生と中学生の時にそれぞれ一回ずつ引越しで転校を
経験したけど結構いじめられた。(ーー;
いじめられてる当時何を思っていたか思い出すと・・
何故自分がいじめられなければいけないのか、
やりきれない悔しさ(部屋で悔しくて泣いてました)
明日になればクラスメートがいじめをやめてくれるだろうか、
親にはいじめられてるなんて恥ずかしくて言えない・知られたくない、
そんなことを考えていた・・と思う。うろ覚えだけど。
大人になった今なら、なぜさっさと親や先生に相談しなかったのか?
と思うけど、相談したらしたで必ず「告げ口したな・・」と
更に逆上していじめてくるやつがいるんだな、これが・・(´`;
先生のいないところで蹴ってきたり・・チクチクと。
同性からのいじめが陰湿で嫌でしたね・・。
いじめられていた子がいじめる側になるのはあり得ると思う。
それは例えばクラスの集団無視とか。
今までおとなしくていじめられていた子がいたけど、転校生の私が
来たことによっていじめの対象が私に変わり、その子もいじめに加わる、と。
自分がいじめられたくないから今度はいじめる側に加わるんだね・・。
いじめられ慣れ・・というと変だけど、何回かいじめを受けていると
「またか・・!」と思ってくる。
私はいじめられながらも常に第三者的な立場で自分を見てきたと思う。
自分を見失うことはなかったし、一度も「自殺」なんて考えたことなかった。
だって・・理不尽ないじめで自分の命を絶つなんて、そんな馬鹿らしいことはない。
子供がいじめで自殺・・という報道を見る度に「何で?」と思う。
生きて自分の人生を生きぬいてやろうという強い心はないのか?
304さんと305さんの意見、どちらにも同感!
子供達には生きる喜びと命の尊さを教えたい!!
とりとめがない文章になってもた・・
興奮して書いてたらちょっと趣旨から外れた感が・・失礼しました〜〜
周りの大人やマスコミが「いじめによる自殺」を取り立てて騒げば騒ぐほど
今の頭でっかちな子ども達は
「そうか、いじめられたら自殺すればこの嫌な現実から逃れられるんだ」
と安易に自殺を選択する連鎖反応を起こしている(ような気がする)。
レスする人の子どもの有無にこだわっている方々、
命の大切さをご自分のお子さんにちゃんと教えてこられましたか?
>そうか、いじめられたら自殺すればこの嫌な現実から逃れられるんだ」と安易に自殺を選択する
あと、仕返しね。
名前をあげておいて、世間から叩いてもらう
こういう手段でしか仕返しができないのかも。
強い大人が居なくなってきて子供が見習ってしまって弱くなってきているということか。
わかんないかなぁ。
いま起きているのは岡田有希子シンドロームの再来だよ。
いつの時代でも生きづらく感じる人々はいるのさ。
人生不可解ナリ
いじめられた生徒の自殺より歓送迎会が大事なようで・・・
どうしてこの日になったといえば不祥事続きでこの日になったとの言い訳
なんとまあ
>レスする人の子どもの有無にこだわっている方々、
>命の大切さをご自分のお子さんにちゃんと教えてこられましたか?
勿論です!
一番それにこだわって育ててますよ。
>>302
それなら同感です。
ちなみに私は加害者を死刑にしろなんて一言も言っていません。加害者を受けとめることしか
話がでず、被害者を置き去りにすることが何もここだけの話ではなく、現実にこれまでの刑法特に少年法がそうだったからです。
皆さんの言っている加害者も育ちなどの意味で愛されたことのない被害者であるというのは反対でも何でもありません。
それも絵本同様、私にも当たり前の感覚です。
子供を欠点も含めありのまま受け入れるというのもごく当たり前のことです。(>>303はまるで検討違いですね。)
愛してあげるいいじゃないですか?被害者へのケアを決して忘れない上でのことなら結構なことです。
それから自殺は何があってもいけないというのも私も同じ意見です。
加害者を切り捨てるのではなく、被害のほうを決して忘れてはいけないと言いたいだけですね。
皆さんの書いて事自体、絵本同様当たり前のことなんですよ。私には。
>そこで意見が分かれているのが①加害者も子供なんだから更生させてやる。②加害者には罰を与え>て隔離する。ということでよろしいですかね。
これが違います。
罰を与えることと更正させることがどうして同時にできないのかが全くもって不可解です。
罰ということに対する感覚や考え方の違いにすぎないのかもしれませんが。
罰というのがそもそも償いや謝罪であるのに、罰を与えないで更正だけさせるというのはありえません。
私には子供がいます。また子供がいじめっ子に決してならないと思い込んでいるわけでもありません。
>他人の人生を奪った人間が、加害者なのに更正して社会に出て自分だけに自分の新しい人生をやり>直すチャンスが与えられるなんて許せません。
でもこれは子供のいないころから変わらない気持ちですね。
なぜかといえばありのままに受け入れるとか、更正させるとか(自殺に反対なのは私自身カトリックなので当たり前)そういうのは何も新しくもありません。
ずっと世の中はそうだったのですよ。
被害者へのケアがなく、「かわいそうな加害者」の更正にばかり重点が置かれてた状態がようやく変わりつつあるのです。
多分皆さんはそういったことを知らないだけなのかもしれませんね。
被害者のケアの話が不必要だなんて全く思いません。加害者の対処法の中に被害者への償い方があってこそまともだと思います。
そういう意識が現実にも波及するのです。
>被害者のケアの話が不必要だなんて全く思いません。加害者の対処法の中に被害者への償い方があ>ってこそまともだと思います。
>そういう意識が現実にも波及するのです。
長くなって切れた分を書いておきます。
それから私自身はいじめにあった経験はありません。
自分が望んだわけでもないのに、どちらかというといつも自分の言葉や行動が周りに影響するほうの立場でした。
何回も転校しましたが、転校してすぐからいつも友達に不自由しませんでした。
兄弟は違ったようです。
いじめられた立場から書いている人もいますが、いじめと言っても色々だろうし、人によっても違うだろうし自分がそのいじめにそれほど苦労しなかったからといって皆がそうだともし思うのなら
それは危険な考え方だと思います。
>>319
>自分がそのいじめにそれほど苦労しなかったからといって皆がそうだともし思うのなら
>それは危険な考え方だと思います。
いや、当時はそりゃもー苦労したって・・(ーー;
いじめがやむのを待つしかなかったよ。
私だけに言ってるのではないかもしれませんが、
いじめられた経験があるからこそ思う、
「生きて自分の人生を生きぬいてやろうという強い心はないのか?」
「子供達には生きる喜びと命の尊さを教えたい!!」
この考え方【危険】なんかな〜〜(´`;
ROMで見ていたけどちょっとだけ。
いじめは単純に「いじめっ子」「いじめられっこ」と二つに分けられるわけでもないと思う。
被害者/加害者なんていう立場だけで分けようとしているひともいるし、罰と聞くとすぐ
目には目を歯には歯を見たいな理屈で死刑を持出す人まで出てくるし。
実際には被害者/加害者と言う立場があいまいでどちらに原因があるのかすら決め付けることなんて出来ないものではないんでしょうか?
たとえばある一人がリーダー格になって弱そうなクラスメートをターゲットにしていじめていれば当然いじめた側に原因があるわけですし、そちらが加害者でしょう。
でも。
自分勝手でみんなの意見を聞く耳持たず、迷惑なことばかりやる子に対してクラス全員が結託して無視し始めたら、それをいじめだとその子が思ったら当然原因はその子にあるわけです。
よくいじめられるほうにも問題があるといわれけど、時と場合によりけりではないでしょうか。
自殺に関する意見は、絶対にするべきではない事であると言う部分同意ですが。
少なくとも、いじめが卑劣な行為であること、やってはいけないことと言う認識は子供にも教えていく必要があると思っています。
子供が精神的に弱くなってしまったのも、人の命を軽んじているのもすべて親や家族にあると思っています。
何でもかんでも学校や国に責任を押し付け、自分は外野から野次を飛ばすだけ。
当事者として関わろうとはしない。
自分自身が起こしたことも責任を背負って生きていくようなこともせず、誰かのせいでこうなったと言い訳してにげている。
権利は主張するくせに責任は背負おうとはしない。
そんな親の背中を見てきた子供たちが今のいじめ問題の中心だと思うと悲しいですね。
つうか仕返ししてからでも遅くないんだがな。
そこに気づいてほしいね。
どうせ死ぬんだと思えばなんでもできるんだがなぁ。
私なら・・自殺はしないけど、せめてタイムマシーンで戻って
私を蹴り飛ばした男子にかかと落としを食らわせてやりたいですね(`・・´)
過去のことは振り返らない!前!前!
いじめられた子には『仕返し』ではなく『見返してやれ!』と言いたい。
『仕返し』とはいじめ返すこと容認することになるでしょう?
いじめをしている子と同じ、くさった人間になりたいのか?
ニャンコ先生のおっしゃるとおり
仕返しは自分の想像力の中で思う存分やればいいのです。
同意ですね。
仕返しする=自分がいじめる側になる
それを容認してしまうことになりますから。
実際のところは、仕返しが必ずいじめになるわけではないんですけど。
それと、最近の子供が目先の勉強や進路ばかり見ていて、本当に将来こうなりたいっていう
強い夢を持っていないのも自殺に走る原因かも。
これは漠然とした個人的意見なんで否定されてもいたし方ありませんが。
将来こうなりたいって思う夢が強ければ、自殺を考えても最後の一線で踏みとどまれる気が
するんですがね。
こんな奴等のせいで夢をあきらめてたまるかって。
>自分勝手でみんなの意見を聞く耳持たず、迷惑なことばかりやる子に対してクラス全員が結託して
>無視し始めたら、それをいじめだとその子が思ったら当然原因はその子にあるわけです。
うちのクラスは女子も男子もすごくまとまっていて仲かがいいんです。
で、違うクラスにいじめっ子(A)がいて、わざわざうちの子のクラスに入ってきて
『B(名前)出て来い!!』ってBちゃんをいじめに来るそうです。
女子たちはその子を囲んで隠し、男子たちは『出てけ!ブス!』って追い出すそうです。
この状況で一部分だけを見ればうちの子のクラスが集団でAちゃんをいじめてるように見えますね。
つまりはこういうこと?
で余談ですが、話の続きはこうです。
Aちゃんは全然懲りてないです。2,3人引き連れて何回もやって来る。
そしてBちゃんは友人Cちゃんに「もうAちゃん死んで欲しい・・・」と
泣きながら話した。
怒ったCちゃんは正義感を持ってAちゃんのところに乗り込んで行き、こう言ったそうです。
『Bちゃんはあんたのことを死んで欲しいって思うぐらい悩んでるんだよ!!いい加減にしろ!!』
Aちゃんは先生に『Bちゃんが私に**と言いました』と告げ口した。
なんとAちゃんの担任はBちゃんからよく事情も聞かずにBちゃんを叱り、Aに謝らせた。
(担任がこれだからクラスも荒れてる)
うちの子のクラスの子たちはもちろんそれには猛攻撃!!
自分のクラスの担任に全て話をし抗議した。
うちの担任はBちゃんから話を何回も聞いてたそうです。
その後、担任同士の話合いがあったかどうか不明・・・。
>つまりはこういうこと?
状況としてはそういうことです。
違うのは、そういう状況に置かれているのが自分がやっている事が原因であるとわかっているか否かでしょう。
そのAちゃんはわかっていてやっているからいじめられているなんて感じるわけはないし、それが原因で自殺もしないでしょうが。
もし、原因が自分にあると気が付いていなければ、本人が「いじめられている」ととる可能性はあるでしょう。
結局、その担任も状況を良く理解しようともせず、片方の言い分のみで判断してるんでしょうね。
それと、自分のクラスの子供たちからは嫌われたくないと言う考えだけで行動してるんでしょうね。
他のクラスの生徒を悪者にしておけば、自分のクラスの生徒を注意しないですみますから。
最近はあえて嫌われ役になる先生も少なくなってるのかな。
>>302 おはようママ さん
>>303 ままん侍 さん
私にはまだ子育ての経験がありません。
子供はまだ妻のお腹の中にいます。
その事で、「自分の子供がいじめに関わる」という問題に対し
経験不足や認識不足を指摘されてしまうのであれば
私に限らず、未だ子供を持たない大人はもちろん
まさにいじめ問題の当事者である子供たち自身でさえも
この問題には正しく向き合えないという事になってしまわないでしょうか。
この件に関し、育児経験の有無によって発言者を分類するのは
まったく無意味なことだと思います。
育児の実体験がなければ発言にも重みがない、という話だとすれば
ある面においては事実かも知れません。
しかし、ままん侍さんが仰る
『自分の子供にはいじめの被害者にも加害者にもなって欲しくない』
という思いは、子を持つ・持たざるに関係なく誰だって持っている筈。
だからこそ私も、自分自身の体験に照らし合わせて
いざ事が起こった時には親としてどう行動するべきか、とか
学校やクラスメイト、果てはその親御さん達はどのような行動を
とるべきなのか、という事を自分なりに考えてみるのです。
その上で、『いじめっ子のすべてを受け入れましょう』というご意見に
率直に抱いた違和感をぶつけさせて頂いているのです。
(つづき)
なにも「いじめっ子は徹底攻撃すべきだ」と言っているのではありません。
罪を罰するということ以前に、その時起こっているいじめを
直ちに抑止するという事を、親として忘れてはならないと言っているのです。
お二人がそこを軽視していると言っている訳ではありません。
しかし、いじめ行為を抑止するにあたって「相手のすべてを受け入れる」
などという悠長な言葉は物理的になじまないんじゃないでしょうか。
いじめられている事を母に打ち明けた日の午後、いじめっ子を撃退せんと
玄関先でホウキを持って私の帰りを待ち構えていた母の姿が
当時の私にとってどれほど頼もしく、ありがたかったか。
私は近く親になる者ですが、今後子供が身を置いていくであろう社会の
すべてを把握する自信はありません。
しかし、子供がいわれのない不当な扱いを受けている時には
シンプルに助けてやれるような親になりたい。
自分の子供・他人の子供に隔てなく、愛情をもって接するのは
人の親として当然の事だと思いますが
自分の子供が傷つけられている時、相手が子供だからと言って
絶対的な博愛をもって接する自信はないし、そうするつもりも無いです。
いま現在いじめられている子供たちも、親や教師など
周囲の大人にはそういう姿勢を求めていると、私は考えています。
276さん、大変よくわかりますし私も全く同じ気持ちです。
紙の上での理想的な(人間的な)いじめ対処法は間違ってはいないとは思いますが
子どもが助けを求めている時は何より先に我が子を助ける
周りのことを気にかけている場合じゃない一刻も早くと言う時
父が母がシンプルに助けてやれなければならないこともあると思うのです。
盲目になってしまってもいいんです、我が子を失い後悔などしたくないから。
子どももそれを一番求めていると私も強く思います。
学校・教師は誰かを特別に守ることは難しく全ての生徒のことを視野に入れなくてはなりません。
親は我が子を一番に考えてよいのです。
実際276さんのように救われた子どもがいたのですから。
いじめっ子といじめられっ子の区別がはっきりしないということもあるかと思いますが
まあ、でもいじめられっ子にしかならない子っていますよ。外見や性質(悪いのではなくごく内気)のせいで。
そういう子達こそが問題になっているのではと思いますけど?
被害者でしかない人っていますよ。
性格が悪くて総すかん食うなら別にその子が被害者とも思えません。いじめられているというのとは違うのではと思います。
乱暴もので育ちのせいで性格ゆがんだようないじめっ子(やっぱりこのパターンが多い)がごくまれに反撃にあうこともあるかもしれませんがそれなら大した問題じゃない気がする。
私立などでも要領が良い子が多いからこそ大人にはわからないような陰湿ないじめをすることもあるだろうし、なかなか実体のつかめないいじめも最近は多いのだろうと思いますけどね。
今日もありましたが、高校じゃなく、小学校から携帯メールでのいじめなんかがあるそうです。
少なくともいじめられる子にも問題があるなんて小学校レベルの話になると、うじうじしてるのが悪いだの不潔なのが悪いだの言い出すのもいます。
まあいずれにしろ先生によってクラスの有り様が大きくかわるのは事実だなあと思います。
276さんのレスには強く共感します。332さんの書かれていることも全くその通りだと思います。
また被害者と使ってしまいました。気に障る人ごめんなさい。
単に短くて書きやすいという理由と、上のほうのどんな人間にも更正が云々というレスに対してレスしたのでいじめだけの話からちょっとずれただけです。
ほんと、死ぬつもりなら何でも出来るだろうにといつも思うけど
そう思えるのはきっと自分が強いからなんだなあ・・・。
ちょっと待って。
また、私の文章能力の無さで誤解がありますね。
>育児経験の有無によって発言者を分類
>育児の実体験がなければ発言にも重みがない
全く違います。
子育て中の者とそうでない者では、やはり考えたや視点にズレがあると思います。
前者が正しくて後者は未熟だから間違ってるなんて思ってませんよ。
私は同じ目線でレスしないと理解しにくく、歩み寄るのが難しいと思ったレスがあったので
できれぱ教えて欲しい言ったまでです。
>いじめ行為を抑止するにあたって「相手のすべてを受け入れる」
>などという悠長な言葉は物理的になじまないんじゃないでしょうか
「相手のすべてを受け入れる」とは言ってません。
「いじめっ子をありのまま受け入れる」とままん侍は言ってます。
第3者の立場または自分の子が間違いを犯してしまった側の場合の話でしょ?
自分の子が被害にあったのなら「相手のすべてを受け入れる」なんて
悠長なこと言ってられないのは当たり前です。
その時はいじめられた我が子を必死で守りますよ。
>親は我が子を一番に考えてよいのです。
その通りです。
でももし我が子が加害者の立場であっても同じではないでしょうか。
「この子を煮るなり焼くなり好きにしてください」と被害者の遺族に差し出しますか?
もちろん何度も謝罪に行かせるでしょう。
でもそれと同時になんとか我が子が深く反省し更生できるように、
二度と同じ過ちを犯さない子にする為に全力を注ぐ。
それが被害者の方への一番の謝罪だと思いませんか?
2度と同じ過ちを犯さないだけでなく、自分がしたことによって傷ついた人がいるということを
一生忘れないで欲しいですね。
更正すれば新しい人生ではなく償いの人生が待ってるはずといつも思います。
結構このスレではいじめっ子になりそうな子の親が多いのだろうかと思ってしまった。
まだ10代そこそこの子供のしたことなら親にも十二分に責任があるから、子供を更正させるだけでなく親にも一緒に償ってもらいたいですね。
償い償いって償いって何よ?
それだけかいてる以上あるんだろう償い方が?
誤ることか?金払うことか?悪かったと思い続けることか?
答えてくれや