- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
「江戸の入り口」から「日本の玄関」へと転換する品川エリア 経済界 2017年10月30日 11時23分 (2017年11月7日 17時36分 更新)
JR東日本は山手線の田町駅と品川駅の間に新駅を設け、駅を含めた新たな街の一体開発を進めている。
直接のきっかけは、品川車両基地の効率化だ。近年になって田町―品川駅間に位置する品川車両基地において、東京発の東海道線夜行列車の減便・廃止により配置車両が減少。さらに上野東京ライン開通などで、車両の配置箇所見直しを行った結果、品川車両基地の規模を縮小させることができ、約20ヘクタールの用地のうち、13ヘクタールが事業用地として活用されることになった。そこでJR東日本では新駅を含めたエリア一帯の開発を行うことになった。
新駅の場所は田町駅から南に約1.3キロメートル、品川駅から北へ0.9キロメートルの地点。山手線と京浜東北線の線路を東側に最大約120メートルずらすことになる。山手線では1971年開業の西日暮里駅以来、30番目の駅となる。また、京浜東北線の新駅としては、2000年のさいたま新都心駅以来となる。
JR東日本では、これまでも首都圏のターミナルで駅の改善と駅周辺の街づくりを行ってきたが、今回は13ヘクタールと広大かつ何もない土地を一から開発することになるため、新駅を中核施設とし、一つの群として新たな街そのものを創出する。現在の進捗は、まちづくりについて、「品川駅北周辺地区まちづくりガイドライン」が今年3月に制定され、開発の大枠は固まった状況。現在は実行に向けた詳細なプランを練っているという。
新駅の駅舎デザインには、建築家の隈研吾氏を起用。日本の伝統的な折り紙をモチーフにした大屋根を設け、また、障子をイメージして膜や木などの素材を活用、日本の「和」の魅力を発信する。駅舎は地上3階で、地上階にホームがあり、2階が改札階、3階が店舗などの駅施設となっている。今回の街づくりでは、「エキマチ一体」がテーマとなっており駅と街を一体的な空間として感じる構造になっている。
具体的には、改札階の2階部分から街へつながるデッキを検討。駅と街の広場が一体となるような空間をつくる。歩行者はデッキ部分から街へ回遊し駐車場やバス乗り場は地上に設け、歩車分離を実現する。また、駅舎東西面に大きなガラス面を設け、3階に設けたテラスから街が見渡せるようになっており、駅と街との一体感を感じる仕掛けになっている。
街づくりではエリアの交通網も整備する。これまでは広大な車両基地だったため、山手線の線路を挟んだ東西の連絡は、高輪架道橋という片側1車線・一方通行のガードトンネルがあるだけだった。しかも、この高輪架道橋は高さ制限1.5メートルの都内で最も低いガードであり、「提灯殺しのトンネル」と称されていた。それだけに東西の交通はほぼ遮断されていたに等しい。
今回の開発では横に大きな3つの東西軸を通す。一つは、東京都が計画している環状4号線を延伸し、線路の上をまたぐ形で、開発エリアを横断させる。2つめは新駅から歩行者専用の連絡通路を山側から海側に通す。3つめは従来からある高輪架道橋を全面拡張し、上下両方向の新しい区道に作り替える。これにより、エリア内外の回遊性を高める。
新駅の開業は2020年を予定しているが、駅周辺は土地の造成が完了した状態であるという。このため、開業直後は、その土地を利用して、オリンピック・パラリンピックに関連したイベントなどを期間限定で行う。そしてオリンピック・パラリンピック後に駅周辺の本格的な工事に入り、24年に「街びらき」を行い、駅周辺も含めた本格開業をする予定だという。
新駅は泉岳寺、品川駅とも連携
品川新駅(仮称)の隣接エリアでも開発プロジェクトが進んでいる。まず品川新駅(仮称)から300メートルほどの距離にある都営地下鉄泉岳寺駅があるが、ここでは駅の利便性向上に向けた改良が進んでいる。新駅と泉岳寺の乗り換えも想定されている。
また、品川駅では、京浜急行が現在2階部分のホームを地上階に降ろして乗り継ぎを容易にすると同時に、駅周辺の連続立体交差事業を進めている。さらにJR東海では27年にリニア中央新幹線の発着点となる駅工事を進めている。
品川新駅(仮称)の開発エリアの中には、新駅、泉岳寺駅、品川駅と3つの駅が利用できる。そして、エリア全体の利便性が高まることで、新駅を拠点とする新たな街もその恩恵を受ける。泉岳寺駅からは京浜急行を経由して、羽田空港にアクセスできるため、世界につながる。
また、将来的に品川駅からはリニア中央新幹線で関西との時間的距離が縮まる。エリア全体の広域拠点性の高さは大きな強みとなり、世界および国内の各都市に向けた一大交流拠点となりうる。新駅の開発プロジェクトが目指すところも、まさにそこで、エリア全体で「グローバル ゲートウェイ 品川」となることを目指している。
江戸時代には、最初の宿場町として品川宿が置かれ、「江戸の入口」として栄えたが、21世紀の品川は「日本の玄関」として大きく発展する可能性を秘めている。