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謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
台湾にも一部、おかしな奴はいる
どこの国にもいる
でも韓国だけは、みんながおかしい
台湾のおかしな奴は、日本から賠償金を分捕った
尖閣諸島の日本領海に侵入して、ワザと日本の巡視船にぶつかって沈没した台湾オンボロ漁船
日本に全員救助されたが、日本に沈没したオンボロ漁船の賠償金を請求して来た
2匹目の泥鰌を狙ってる台湾人はたくさんいる
台湾にも日本から金を分捕ろうとする奴らはいるが、極一部の人達
韓国は全員が反日洗脳されて、全員が捏造歴史を信じている
洗脳から解けた韓国のまともな人は韓国を脱出している
韓国に帰ったら、逮捕されたり殺されちゃうもの
>何故、そんなに必死に投稿するんですかね。
「必死」・・・?
いやいや、普通に「そうではないですよ!」という意味で反論しているだけ。
ここでは、互いに意見交換を行うスレでしょ?
まあ、的を突かれて、
グウの音も言えなくなった時には、こうしたコメントが出てくる傾向があるのは確かだがw
>台湾にも一部、おかしな奴はいる
とは言っても、
>>400は
国民の代表機関たる議会で、満場一致で可決採択された日本への賠償・謝罪請求。
つまり、構成員は全員、国民の総意で選ばれた方々。
数的には「一部」でも、国民の総意だ。
屏東県の竹田小学校で24日、「体は日本にあるが、心は竹田(小学校)にある」と長年、同校の児童に愛情を注いできた日本人女性、水谷雪さんを偲ぶ追悼式が行われた。
第二次世界大戦中、竹田村の野戦病院(現・竹田小学校)で夫をなくした彼女は30数年前からその愛情を同校の子どもらに惜しみなく注ぐようになった。2年に1度のペースで竹田小学校を訪れて、図書や設備、寄付金などの援助をし続けていた。
2009年に90近くの高齢で訪台し、人生最後の台湾訪問となるだろうと語っていた水谷氏は、今月22日に94歳で他界した。告別式は日本時間24日午前12時に営まれ、台湾の子どもたちは感謝の意を伝えようと同時刻に“雪おばあちゃん”を偲んだ。
地元から名誉市民ならぬ名誉村民1号の称号を与えられ、また同校児童の誰もが気軽に口ずさめる歌も作られるほど、竹田村の人々に愛されていた水谷さん。夫の魂と会えるように、夫が贈ってくれた指輪を同地に埋めたいとの生前の願いを叶えるべく、学校側が現在、積極的に作業を進めている。
29日に投開票を迎える統一地方選挙に向けて、与党・国民党が25日に公開した選挙CMが、台湾だけでなく海外でも批判・議論の的となり賛否両論を呼んでいる。
CMの中で国民党は、韓国の民族衣装を着た女性をモデルとして、11月に締結交渉が実質的に妥結した韓国と中国大陸の自由貿易協定(FTA)により、台湾はアジアで経済的に孤立するなどとして、台湾と大陸の経済関係強化に反対の立場を示してきた最大野党・民進党を批判している。
だが、CMは公開後、韓国メディアなどにも取り上げられ「韓国の名誉を傷付けるもの」などと批判の対象になっており、国民党の広報担当者は28日、CMは韓国を貶すものではなく、「反韓」「仇韓」といったものは広告の意図するところではないと釈明を行った。
CMを公開している会員制交流サイトのページには、民進党は鎖国することしかできないなどといった広告を支持する書き込みがある一方、このような広告は脅迫だとする批判のコメントもみられた。また、FTAを締結しても利益を得るのは大企業だけだとしてFTA自体に反対を唱える意見もあった。
2012年に2期目に入る馬英九政権は以前から韓国と中国大陸のFTA締結に強い懸念を示しており、経済部は10日、FTA発効の影響として、台湾から大陸への輸出額が最大で年間5.4%(84億2000万米ドル=約9900億円)減少するとの試算を出している。
苗栗県南庄郷の南埔小学校に日本統治時代から残されていた元校長宿舎の修復工事が終わり、12日に記念式典が行われた。今後は郷土学習館や資料陳列室などとして活用される。
今回修復されたのは1935(昭和10)年に建てられた和風家屋。壁や天井など随所に日本建築の特徴が垣間見られる。2009年には県の歴史建物に登録され、1078万台湾元(約4013万円)の費用を投じて今春から工事が行われていた。
この日の式典には南庄郷の頼盛為郷長や同校の卒業生などが参加。劉敏珍校長は不定期で一般への開放を計画しているとして、多くの人に歴史を感じてもらえればと話している。
韓国人は大嫌い
反日捏造、根っからの嘘つき民族だから
日本貶しの悪口三昧、性根が腐ってるから
台湾人は好き、というより日本統治時代の遺産の保護等々に感謝
台湾人の温厚さを見習いたい
台湾のネット上で、茶碗を持ち上げて食べる台湾人を「乞食のようだ」と称した韓国人に対して、台湾人の「神反撃」が話題となっている。台湾メディア・東森新聞雲が27日伝えた。
先日、台湾のネット掲示板・PTT上で、あるネットユーザーが「ルームメートの彼氏が韓国企業に勤めている。韓国の同僚と食事を一緒に取ったとき、韓国人の同僚から『韓国では食器を持ち上げるのは乞食だけだ』と言われた。幸い、そのとき台湾人の同僚が即座に反応して「台湾でも、頭を低くして茶碗の飯を食べるのは犬しかいない」と言い返した」と書き込んだところ、この「神反撃」が台湾のネットユーザーあいだで熱い議論を呼んだ。
ご飯を食べるとき、韓国人は頭を低く下げてスプーンで食べるのに対し、台湾人は普通茶碗を手に持って食べる。文化上のちょっとした違いだが、ネット上では熱い議論を呼び、「神反撃」が賞賛を浴びたのだ。
韓国に1年ほど留学していた女性に実際に話を聞いてみると、韓国ではスープを飲むときも頭を下げて飲むのだとか。ただ、これには理由がある。韓国の食器は鉄製で保温効果が高い反面、触ればやけどしやすいのだ。また、スープの入った器は重く、手で持っていたら疲れてしまうということもあり、長い歴史のうちに頭を下げて食べるの習慣になったという。「最初は自分のやり方で食べていたが、その後彼らと同じような食べ方をするようになった」とこの女性は語る。
このほか、韓国のスプーンは細長い形状をしており、直接ご飯やスープをすくって食べる。しかし、頭を下げて食べても、食器を持って食べてもいいではないか。各国の文化にはそもそも違いがあるなのだから。くれぐれも小さな習慣で同僚どうしの感情に亀裂を入れたりしないように。
昨年から動画投稿サイトのユーチューブで配信されている、台湾の歴史をテーマにしたアニメ「台湾バー(Taiwan Bar)」が、その軽妙なトークや分かりやすい解説などによって人気を集めている。
このアニメはここ100年の台湾の歴史を、ジョークなどを交えながら紹介するもの。日本の統治による台湾の近代化などをテーマにした第1回の動画(昨年11月配信)は1月3日現在、再生回数が60万回に届く勢いとなっている。
第1回の動画では日本が台湾に近代的な制度や習慣を持ち込み、衛生環境の改善や医療水準の向上などに貢献したとする一方、仕事や教育などにおいて台湾の人々に対する差別待遇が存在していたことなどを指摘している。
動画のコメント欄では「先生がこんな風に歴史を教えてくれたら覚えられたのに」、「日本語版はありますか?日本人に見せたい」などの書き込みが見られた。
動画は毎月1日に更新されており、昨年12月は日本の台湾統治政策の変遷などをテーマにした第2回が、今月1日には台湾議会設置運動などの1920年代の社会運動を扱った第3回が配信されている。
公式サイトではTシャツや動画に登場する熊のぬいぐるみなどの関連グッズも販売されており、収益は動画制作に使われるという。
日本統治時代に建てられ、解体の危機に直面していた旧「台北放送局板橋放送所」(新北市板橋区)の建物が7日、同市政府文化局の暫定古跡に指定され、当面の保存が決まった。
1930(昭和5)年に建てられた同放送所は、日本の敗戦後、ラジオ局の中国広播公司に接収され、機械室として使用されていた。だが、昨年8月に土地をめぐる裁判で所有権が国にあるとされたため、取り壊される予定だった。文化局は貴重な歴史的資産だとして、専門家の意見をもとに今後の方針を決めたいとしている。
板橋放送所の設計を担当した栗山俊一は、台北郵便局(現・台北郵局)や台北放送局(現・二二八紀念館)なども手がけている。
中華郵政は18日、老朽化に伴い外壁の改修工事が進められていた「台北郵便局」(台北郵局)の竣工(しゅんこう)式および郵政博物館台北北門分館の開幕式を同所で行い、郵便局の外壁に明かりが灯った。
台北駅の西側に位置する同郵便局は、日本統治時代に建築士・栗山俊一氏によって手がけられ、1930(昭和5)年に完成。改修工事は2006年に台北市政府文化局の審査を通過後開始され、昨年末に完了した。
この工事では元の外観と古跡の歴史的価値を尊重しようと、日本統治時代に台湾に持ち込まれた「人造石洗い出し仕上げ」という工法が採用され、素材には当時北投で生産された「防空色」と呼ばれる薄茶色のタイルが使われた。
式典に出席した台北市政府都市発展局の林洲民局長は、同市が再検討している台北駅西側の都市開発案において、台北郵便局は中心的な存在になるだろうと語り、今後の役割に期待を寄せた。
同郵便局は台北市の三級古跡に指定されている。
台湾南部・屏東の台湾原住民(先住民)**出身の女性が、日本統治時代に植えられたコーヒーの木を生かして地域振興につなげようと努力している。
女性は地域を統率する頭目の娘で、「公主」(お姫様)と呼ばれる存在。元は美容師の仕事をしていたが、12年前に故郷に戻った際にコーヒーの木を目にし、この産業で**の生活環境を改善しようと思い立った。
コーヒーの道に入った女性はより香り豊かな豆を生産しようと、研究や実験を繰り返し、豆の特色を生かす処理法にたどり着いた。夫が女性の元を離れようとも、女性は地域を守ることが自分の使命だと**に留まることを選んだ。
**では現在、約30ヘクタールの広さでコーヒーが栽培されており、女性は「公主珈琲」というブランド名で市場開拓を進めている。
日本統治時代、日本人によって現地にアラビカ種のコーヒーの木が大量に植えられ、天皇に献上されるほど品質が高い豆が生産されていた。現在でも、当時植樹された樹齢100年以上の木が20本あまり残っており、住民に**の宝として大切に保護されている。
日本統治時代後期の台湾における学生生活をテーマにした書籍「躍動的青春:日治台湾的学生生活」が先月29日、出版された。
1930年から40年代にかけての試験事情や寮生活、サークル活動、レジャーなど18の角度から、中高等教育を受ける当時の学生らの日常を読み解く内容となっている。
作者は日本統治時代の社会や教育を専門とする台北科技大教授の鄭麗玲氏。同書のまえがきの中で鄭氏は、博士論文執筆の際に当時の高校生の日常の様子が教科書で歴史として教えられていたものとは全く異なり、今の若者と同じような生活を送っていた事実を発見したことが、研究のきっかけになったと記している。
行政院(内閣)は6日、台北市内にある旧国防部空軍総司令部の再開発計画を見直し、保存の上で文化振興の拠点として活用する方針を明らかにした。敷地面積7.2ヘクタールの同地には日本統治時代に台湾総督府工業研究所として使われた建物も残されている。
同施設は台北市の中心部に位置し、これまで複合商業施設や公営住宅の建設が検討されていた。行政院は文化資産は適切に保存されるべきだとした上で、若者世代が創造力を育む基地にしたいとの考えを示している。
2015年2月9日、中国・環球時報(電子版)によると、1月末に米ハーバード大学で行われた模擬国連で、組織委員会が台湾を“国扱い”したことに不満を示した中国代表団が、会場から追い出される騒ぎがあった。
中国側の申し入れに対し、組織委員会は「あなたたちの存在が不愉快だ」と述べたという。
当事者である中国西北工業大学の学生は、インターネット上に「模擬国連は政治的色合いが濃い。ハーバード側の態度とやり方は見過ごせない誤りだ。愛国心と気概を持つすべての中国人を怒らせた」と投稿した。
韓国は、遠い昔の中国の奴隷だった頃から、
東の島に棲む貧しい日本人を蔑視する事で、辛うじて生きる尊厳を保って来た
日本蔑視は先祖代々からのおとぎ話として言い伝えられてきた
日本は我らが作ってあげた
日本は我らの格下
そう伝えられてきた卑しい日本に併合されてしまった
これは韓国人にとって、最大の屈辱だった
韓国人の、こういう精神構造は今も変わらない
日本は韓国より格下でいなければ、言い伝えられて韓国の歴史は全て狂ってしまう
昔から日本人を軽蔑し続けて来た韓国人の狂った尺度が、反日を生んでいる
新竹市は10日、日本統治時代の1929(昭和4)年に供用を開始した水道取水口施設で、修復工事の起工式を行った。総工費は2600万台湾元(約9900万円)で今年末の完成を目指す。
新竹で上水道整備計画が持ち上がったのは1914(大正3)年。その後1925(大正14)年に着工した。106万5000円(当時)を投じ、郊外の地下水を市街地に引き入れた。2011年に市の古跡に指定されたが、近年は荒廃していた。
関係者は修復を機に市民に水道の歴史や重要性を知ってもらいたいと話す。林智堅新竹市長は、上海万博の台湾パビリオンが移設された「台湾世博館」にも近く、新しい観光スポットになればとしている。
日本統治時代に八田与一技師などによって造られた烏山頭ダム(台南市)で14日、旧正月(今年は2月19日)と桜をテーマにしたイベントが始まった。開幕に合わせて、ダムには財福をつかさどるとされる高さ15メートルの「財神」バルーンなどが登場し、人々の注目を集めた。
期間中には、八田与一記念園区に「除夜の鐘」にならった大きな鐘が設置される。また、2月19日~3月1日の休日には日本の年越しにちなんだ「お年玉」の配布やお餅の提供なども行われ、“日本式”を前面に押し出したイベントとなっている。
また、3月6~29日の期間は桜まつりが開催される予定で、休日には音楽の演奏など行われ、お花見気分をより一層盛り上げる。
日本統治時代の1915(大正4)年の抗日武装蜂起「西来庵事件」と1947年の「二二八事件」が起きた際、市民らの保護に尽力し、当時の新化街(現・台南市新化区)の発展にも貢献したとされる医師の梁道氏。その功績を称えた記念の板がこのほど、同市内の「梁道文物館」に設置された。
梁氏は1913年に新化街に診療所を開設したあと、1920年からは街の長として同地区の役場や道路の整備に携わった。14日に行われた板の設置式典には、同じく医師出身の頼清徳台南市長も出席し、同氏を賞賛した。
台南市政府は過去に活躍した同市出身の功労者を「歴史名人」として記念する活動を進めており、これまでに政治、医療、経済などの分野で功績のあった126人が名を連ねている。