>>桜の名所
あ、そういうことか、今気付きました。
ウマいところ付いた商品ですね、ぜひ味見してみたいですよ。
徒歩7分戸建情報ですが、マンションには固有のメリットがありますからこの選択は価値観によるのでしょうね。僕は2分と7分の差はかなりの開きがあると思うんで、やっぱりココがベストかなって。
10階より上がいいかな。
>120
武蔵境駅が開設したのは120年も前のことですが、開設した理由は桜の花見のためですから。
武蔵境通りと玉川上水が交差する部分が桜橋ですが、玉川上水沿いの小金井桜は花見客で昔から賑わったそうです。
この桜橋は国木田独歩の小説にも登場して石碑も立ってます。
>開設した理由は桜の花見
いくらなんでも、それは大げさでしょう?
わずか1週間のために駅ができたんですか?
それなら水戸の偕楽園駅のように期間限定開設駅だったはずです。
あながち否定は出来ないのですよ。
なにしろ武蔵小金井駅はそれこそ花見の臨時駅からスタートですから。
うそですよ。そんな採算の取れないことはしませんよ。
今後の人口増加や貨物量の増加を見込んで作ったのですよ。
おまけで、そういう話になっているだけ。
http://s.ameblo.jp/musasisakai-info/entry-11218324808.html
境停車場と国分寺停車場は桜花見のために作られた駅だと言われています。花見の時期には、鉄道会社は割引切符を発行、臨時列車を増発し東京から花見客を誘致して日曜日には数千人もの行楽客が訪れたとのことです。武蔵境はそれほど桜と縁のある土地柄です。
http://members3.jcom.home.ne.jp/dogrun-mk/topics/topics_75.htm
<明治期>
明治二十二年(1889)多摩地域の近代化の象徴である甲武鉄道が開通した。甲武鉄道は私鉄だが、のちの国鉄中央線の前身である。これにより小金井の桜は東京市民にとってより身近な行楽地となってさらに賑わいを増した。
甲武鉄道は、当然小さな蒸気機関車が客車を引いていたが、花見の時期の行楽客も当て込んでいたと思われる。最初甲武鉄道の駅は、新宿停車場を始発として、中野停車場、境停車場、国分寺停車場、立川停車場と五つしか駅が無かった(一年後に八王子停車場ができる)。境停車場と国分寺停車場は花見のためにできた駅ではないかと思われる。上に掲出の図「蒸気車往復繁栄之図」にある通り、境停車場の北の上水にかかる桜橋を起点として玉川上水沿いの桜並木が描かれている。桜橋の上流の橋が花見の中心地小金井橋である。更にその上流に架かる橋が喜平橋である。境停車場で下車して桜橋から上流に向かって歩いて花見を楽しんだ行楽客は喜平橋から国分寺停車場に出て、汽車に乗って東京に帰った。
◇小金井の櫻
<現在>
現代では、小金井の桜と言えば都立小金井公園を思い浮かべるが、昔からの名勝「小金井の櫻」は、玉川上水の両岸に六キロに渡ってあった桜並木のことである。その数は推定六千本。武蔵境駅の真北八百メートルにある桜橋から上流に向かって、小平まで約六キロ、玉川上水の両岸に主として山桜の並木があった。現代と違って、楢、ブナ、欅のような他の雑木は一切無く、桜だけの並木であった。
この桜並木は江戸期、明治、大正、昭和、太平洋戦争後まで、地元の人たちによって手入れをされ続けてきたが、昭和40年の淀橋浄水場の廃止により小平監視所から下流の玉川上水に水が流れなくなり、自然、桜樹の手入れも怠って、今のような雑木優勢の鬱蒼とした土堤になってしまった。しかし東京都の調査で、いまだに八千本以上の桜が残っているという。しかし今は他の雑木が大きくなりすぎて桜は目立たなくなっている。
広重の描写が正確だったことが分かる 老木のうろから富士が見える
<明治期>
明治二十二年(1889)多摩地域の近代化の象徴である甲武鉄道が開通した。甲武鉄道は私鉄だが、のちの国鉄中央線の前身である。これにより小金井の桜は東京市民にとってより身近な行楽地となってさらに賑わいを増した。
http://www.c-hino.org/hino_history/mob/i/view/214.html
甲武鉄道の開通
小金井の花見に間に合うように、甲武鉄道(現中央線)の敷設は突貫工事で進められ、明治22年(1889)4月11日に新宿・立川間が開通した。八王子に延長されたのは、その年の8月11日のことで、日野駅ができたのは翌年の1月6日のことであった。
>花見の時期の行楽客も
だから、ちゃんと「も」がついているでしょ。
わずか1週間に運べる花見客の数なんてたかが知れています。
現在の中央線のように4分おき10両編成じゃないのですから。
だから、おまけの話なんです。
吉祥寺停車場の乗降客は一日数名だったそうです。
それに対して、花見の利用客は一日数千人。
色んな資料からも花見客をどれだけ当て込んでいたかが分かります。
http://www.city.musashino.lg.jp/musashino_profile/hyakunenmonogatari/0...
>当時の乗降客は1日3、4人。雪の日などは一人もいないという日もありました。
西武の多摩湖線だって多摩湖観光の為に作られた路線。
昔は現代と違って娯楽が極めて限られていたから自然に触れる機会を与える交通機関は重要だったはずです。
だから、その後の人口増加、貨物取扱量の増加を見込んで作ったのです。
そのままの利用状況がずっと続いたら採算が合いません。
でも、花見のためにつくったという逸話は何かほのぼのとした気持ちに
させてくれますので、花見のためにつくったということにしておきますよ。
普通の日本人なら、花見のために開設したと言われれば、それは目的の一つと捉えると思うけどね。まさか文字通りに解釈されるとは、書いた本人もビックリでしょう。
開業時に沿線に住宅街も何もなかった甲武鉄道。
玉川上水沿いの小金井桜があったから境停車場が出来た。
小金井桜がなければ別な所に駅が出来ていたかもしれないし、開業が遅れていたかもしれない。
ただそれだけ。
林建設ってどんな会社、あまり聞きませんが不安です。
>130-131
そこまで頑なに否定する理由が私見というのもイタいな。
>その後の人口増加、貨物取扱量の増加を見込んで作ったのです。
>そのままの利用状況がずっと続いたら採算が合いません。
人口増加してから作れば良いだけの話だと思うんだけど。
わずか1週間の花見客だけのために鉄道を作るなんてことはしませんよ。それだけ。
>135
吉祥寺駅でさえ一日3~4名の乗降客だったという史料がある。
臨時列車を増発し東京から花見客を誘致して日曜日には数千人もの行楽客が訪れたという史料もある。
花見客のウェイトがどれだけ大きかったがよく分かる。
花見客がいなかったら駅を開設する理由が見当たらない。
2LDKで角部屋があり、行ってみました。高くて驚き!!
駅2分でも武蔵境でしょ。住所が武蔵野市でもサービスは下がる。
市の財政は横河電気や吉祥寺周辺の住民税・固定資産税。境がサービス不足といったら
他の地域から文句がでるはず。
荻窪や三鷹が駅5・6分で5000万なのに、境で5500万ってありえん!!
苦戦してるようだから、下がるかもしれませんが・・・
5500万円の部屋は、何平米の部屋ですか?まさか、50平米台?