となると池田山は昭和ではなく本当は大正期分譲ってことですか?
あのさあ、池田山伝説は相当堤康次郎が盛ってんのよ。
いろいろ資料があるけどエビデンスは不動産屋であった箱根土地の宣伝文句を孫引きしてるだけでそれを史実と誤解されてる訳よ。
例えば岡山県東京事務所が引用している江戸時代の切り絵図をみると確かに屋敷となってるけど、研究によると実際は庭園以外はほぼ農地として利用されていたことがわかっている。池田山下屋敷は岡山藩が江戸で消費する食料を生産する場所だったわけ。それを畑と表現した。そんなの地元民ならしってるはずでしょ。いちいちめんどくさいね。
詳細は品川区教育委員会が品川の大名屋敷を調査した時に判明しており報告書もある。興味があれば品川区の図書館においてあるよ。
だから大名屋敷ってだけでありがたがるのは検証不足。
実際は岡山県東京事務所の資材置き場兼職員保養所程度のイメージなわけよ。
まあ江戸郊外なんだから、それはそれで別にいいと思うけど、あたかも殿様が住んでた由緒ある土地のごとく宣伝するデベの姿勢は昔も今も変わってないねと呆れるわ。
過大評価の東五反田クンわかるかね?
まあ今となれば江戸時代に何があったかなんて実質どうでもいいし気にする人もいないだろうが、それを根拠に高値の正当化はできないってことよ。