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湾岸地域のタワーマンションについて意見を集めるスレです。
耐震基準改正で高さ60メートル以上の高層建築には、長周期地震対策が義務化されます。
既存物件は…。
[スレ作成日時]2011-08-07 16:57:27
湾岸地域のタワーマンションについて意見を集めるスレです。
耐震基準改正で高さ60メートル以上の高層建築には、長周期地震対策が義務化されます。
既存物件は…。
[スレ作成日時]2011-08-07 16:57:27
液状化発生の可能性の高い地域
http://farm7.static.flickr.com/6139/5958890320_587965f3ab_o.jpg
断水率マップ(東京湾北部地震 マグニチュード7.3を想定)
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/customer/life/s_taisaku.html
内閣府や東京都水道局が発表した断水率の高い地域は液状化発生率の高い地域。
江東区湾岸の埋立地(豊洲、有明、東雲、新木場、辰巳、東陽町など)は3.11の震度5の揺れで液状化した実績があるから、買う買わない以前に賃貸でも住まない方がいいかも。
江東区発表の液状化被害状況
http://www.city.koto.lg.jp/seikatsu/bosai/58976/58570.html
次の箇所で液状化の発生を確認しています。
・漣橋(潮見1丁目~辰巳2丁目)
・新木場全域
・新砂2-5
・辰巳橋取付道路(東雲1丁目)
・辰巳1-10
・辰巳2-1
・辰巳2-9
・東陽1-3
・東陽2-4
・豊洲3-5
・豊洲5-6
・若洲2丁目
豊洲4丁目のマンションの1階部分。地面の陥没。
http://twitpic.com/48rzpu
豊洲5丁目:写真(左)と豊洲1丁目:写真(右)http://farm7.static.flickr.com/6023/5923527861_0406259aee_o.jpg
http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/3/d/540/img_3d6e7f921c226add95228ba67a...
東雲ジャスコ近辺で液状化
http://www.flickr.com/photos/shao1555/5519114437/
有明液状化
http://www.youtube.com/watch?v=u_-gQQJly3s
意味のわからないレスが多いなあ
十掴一絡げに論じるbakaが多いってこと。
ネガは一般人より知識レベルが・・・
湾岸はの人気不振は、液状化などの瑕疵問題以上に、体質的な問題も多々抱えているようですね。
この程度の液状化なら二子玉川でもあったし、目黒のタワーマンションやライズのほうが被害でかいですよ。
なぜかどこも同じような性格なのがタワーマンション支持派。
湾岸も内陸も不思議なほど似ている。
そして原発衰退=高層マンション衰退も共通。
447さんは、湾岸ネガ。
448さんは、それに反発する世田谷ネガ。
449さんは、タワマンネガさんですね。
450さんは、449さんに似てるけど、何のネガ? 裕福層ネガでしょうかね。
いろんな方がいますよね。
東京都が土壌との関連を調査した結果、腐食性が強い土壌に埋設された管路では、布設からおおむね50年後の平成30年度を超えると漏水が多発するレベルまで腐食が進行することが予測される。
また、東京都水道局のホームページを見ると、京浜東北線から東側の地域が腐食性の強い地盤であることが確認できる。腐食性の強い地盤ではガスや水道などの埋設管や基礎杭などの腐食や老朽化の進行が早まることが予測される。
腐食性の強い地盤(東京都水道局)
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/jigyo/hyouka/daikibo_03.htm...
京浜東北線から東側の東部地域は橋梁や高架橋の崩壊や倒壊、耐荷力などに影響がでて鉄道などの交通網が麻痺する恐れがあります。
鉄道被害
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/knowledge/pdf/h18choka/shiry...
事実を正確に書くと嘘つき買い煽りの妨げになる。
それをネガというわけだ。
嘘つきにネガティブ作用なら有りだ
結局ネガは湾岸タワーの優位性を全く否定できないどころか、逆にアピールする結果につながっているってことに気付かないのかな?
昨夜の古館さんの報道番組によると、高濃度放射能灰が東京防波堤に放置らしい。
放射線は直線で飛ぶから、窓から現場が見える湾岸タワマンは、
ガンマ線の直撃をこの瞬間も受けているということじゃないか?
ガンマ線は透過力が強く、コンクリートであれば50cm、鉛であっても10cmの厚みが必要になる。
距離の2乗で減衰することも知らずに(苦笑)
この先どうなんだろうね。
東京湾北部地震きたら企業も湾岸から出て行くよ。
テレコムのビルも空いてるでしょ?
新築オフィスビルの需要もアテ外れの状況です。
中央防波堤の話し声が聞こえるくらいの距離なら気にしたほうが良いでしょうね。
むしろ高層マンションの高層階は地表に残存する放射能の影響を小さくすると考えたほうがよいでしょうね。
話し声が聞こえないくらい離れていればよいと思いますよ。
ちなみに高濃度というのがどれほどかその番組を見ていないので知りませんが、
相対的に人体が持っている放射能(こちらは距離0の内部被曝)と比較すると
わかりやすいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD
>人体はおよそ6,000-7,000 Bqの放射能をもつ。
>人体はおよそ6,000-7,000 Bqの放射能をもつ。
体重70kgとして、1kgあたりたったの100Bqだろ。
湾岸の最終処分場に放置されてるのは1kgあたり数万Bqで2ケタも違う。
なんで中央防波堤の話題が???
関係ないような。
10万Bqまで捨ててOKに法を変えたから、3ケタですね。
これが数百万トンも、東京防波堤に最終処分されるわけ。
東京湾岸地域に中央防波堤があるのに関係ないってw
ここって東京湾岸地域のスレでしょ?
高層階人気に陰りも、震災が変える不動産の常識 http://www.nikkei.com/biz/product/article/g=96958A9C93819698E2E4E2E29B...
豊洲でオクトーバーフェストっていうビールのお祭りやってるみたいですよ。
モデルルーム通いのついでに寄ってみるのもよさそうです。
オクトーバーフェスト2011豊洲
http://www.oktober-fest.jp/toyosu2011/index.html
モデルルーム通い・・・
そんな人たちがいるんだね
もう誰も買わないよ。
やれやれ。
球の面積4πr^2
人体の側方からの表面積を1㎡とすると、
仮に1000m離れたところは、空気の減衰を全く考えなかった場合でも、(4*π*1000*1000)分の1
後は人体の体内被曝(距離0、すなわち100%全部浴びる)と相対的に比較してください。
空気の減衰はかなりあります。
もっと詳しく知りたければ下記の資料でも読んでください。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/docs/BqToSv.pdf
>今日も売れ残りタワマン買い煽りさんは馬鹿丸出しで背水の陣ですな。
私は買い煽りではないですし、「背水の陣」の意味も間違って使われているようですよ。
オクトーバーフェスト、来週までですよ~~~。
今年初開催となる豊洲オクトーバーフェスト2011。
大勢の「Prost!!」の声を響き渡らせ、食べて飲んで踊って歌って、11日間盛り上がろう!!
◆名称 ・・・ 「豊洲オクトーバーフェスト 2011」
◆主催 ・・・ オクトーバーフェスト実行委員会
◆後援 ・・・ ドイツ大使館/ドイツ観光局/バイエルン州駐日代表部/東京都/江東区
◆協力 ・・・ SKWイーストアジア株式会社
◆出店社 ・・・ ザート商会/フランツグリル/大榮産業/富士桜高原麦酒/シルバンズ/
ハライコジャパン/ブッツデリカテッセン/ミューヘン/AMADEUS/
タブリエ・マーケティング
買い煽りじゃないならナニ?
まさか親切な人?
笑
関東大震災のときに東京は津波被害あったのね!
しかも高さ10メートル!
>480
隠ぺい計算ですか
kgあたり10の3乗倍Bqの物体が数百万トンの意味わかる?10の14乗だよ?
体重100kgと比較しても10の12乗。
1キロ離れて(4*π*1000*1000)分の1でも、10の7乗程度しか拡散しない
大津波「千年に一度」対策を
2011年09月01日
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000331109010002
のこと?
88年前の9月1日。関東大震災では相模湾も津波が襲った。江戸時代は津波で寺が流され、室町時代にも鎌倉の大仏まで津波が達したとする記録が残る。大津波に襲われた東日本大震災と過去の古文書を教訓に、「千年に一度」の対策の必要性を、専門家は訴える。
1923年9月1日の関東大震災。当時の県警察部がまとめた「大正大震火災誌」によると、津波で岩村(現・真鶴町)で50戸が流された。藤沢では高さ1丈(約3メートル)の津波が襲い、4町(約440メートル)の距離をのぼった。鎌倉市材木座の光明寺でも、本堂まで津波が到達した。
さらに古い時代にも津波の記録はある。三浦市南下浦町松輪の福泉寺。以前は海岸近くにあった同寺は、1703年の「元禄地震」で津波に襲われた。
「伊兵衛一家4人、市左衛門一家3人。過去帳では16人が地震当日に亡くなっている」と鈴木元奘住職。
海から約50メートル、海抜10メートルほどの地点にある当時の寺の跡地に立つと、いかに巨大な波だったかが目に浮かぶ。「隣の湾からも山を越えて波が押し寄せ、お墓ものまれた。漁師によると、今も海底に墓石があるそうです」と鈴木住職。だから、現在の同寺には元禄期以前の墓石がない。
同じ地震の記録は平塚市にもある。同市博物館の早田旅人学芸員によると、京都へ向かう下鴨神社の神官が地震2日後の様子を「馬入の渡しの船が津波で流され、村の家がことごとく倒壊した」と記している。
現在は海から800メートルも離れた鎌倉・高徳院の大仏にも、室町時代に津波に洗われた記録がある。1498年の「明応地震」。大仏の由来をまとめた江戸時代の「鎌倉大仏縁起」にはこの地震による津波で「由比の浦浪激揚(げき・よう)して大仏内の堂・二王門・三門・十二楼等の仏閣僧房ことごとく流うせ」とある。
高徳院の佐藤孝雄住職は「境内の発掘調査では津波堆積(たい・せき)物は確認されなかったが、当時の海岸線が現在より内陸だったことも考えると、津波が大仏殿に来た可能性も安易に否定できないと思う」と話す。
「神奈川で過去最大だったのは『元禄地震』の津波」と東大地震研究所の都司(つ・じ)嘉宣准教授は話す。関東大震災と同じく震源域は相模トラフで、波の高さは鎌倉で約8メートル、福泉寺周辺では約11メートルだったとみる。
5月に発足した県の津波浸水想定検討部会長を務める柴山知也早大教授は、鎌倉の大仏殿を壊したとされる「明応地震」にも注目する。東海地震と同様に震源は静岡県沖と推定される。
東海地震は、国が想定している駿河湾内の震源なら、県内の被害は限定的とされる。しかし、柴山教授が震源域を沖合に移したり、断層のずれの方向を変えたりして再検討したら、鎌倉でも地震発生後45分から2時間の間に9メートル以上の津波が来る可能性があった。「JR鎌倉駅や二の鳥居まで浸水し、古文書通り鎌倉大仏まで到達する」
県が2006~08年につくった「津波浸水予測図」では、関東大震災の再来などを想定。元禄地震は、発生確率が低いとして「参考資料」にとどめた。このため、この予測図をもとにした沿岸自治体のハザードマップは津波を最大6~7メートルと想定している。
県内では浅瀬が続く海底や湾の地形から、鎌倉と三浦半島の先端で津波が高くなりやすい。柴山教授は「これまで『千年に一回』と軽視されたが、低い確率であっても、来る可能性がある以上、大津波に備えて対策を取る方向に転換すべきだ」と力を込める。
(安富崇)
6月時点の暫定基準値をこえる廃棄物を「大丈夫」という人が住む町
関東大震災といえば、
http://www.ads-network.co.jp/zatugaku/saigai-07.htm
が、役立ちそうね。
被害象
関東大震災の死者の多くは、火炎流による焼死者で、たった一箇所で死者3万8千人とも、4万4千人とも言われる焼死者を出したのが、当時の本所区横網町(現在の墨田区の一部)にあった本所区被服廠跡。2万430坪の敷地の中で火炎流にのみこまれて死亡したのです。また、上の表を見ると家屋の損害も、地震による倒壊よりも火災による焼失が圧倒的に多いのが分かります。つまり、火災被害が関東大震災の大きな特徴なのです。
そして、東京府の死者数7万人も、本所区被服廠跡の4万人をきわめて特異な例として考えれば、東京府の死者数は約3万人となり、神奈川県の方が死者数が多いのです。(神奈川県の死者も過半が焼死です。)
つまり、地震自体による建物倒壊や死者は、東京府ではなく、神奈川県の方が多かったのです。
全く異なる災害
関東大震災では、水道管が張り巡らされるなど、防火設備は江戸時代よりも進化していながら、江戸時代に防火のために設けられていた大通り(広小路)にも住宅を建て、水道管を過信し、むしろ退化した防災思想によって大火を招いてしまったとも考えられています。
そして、東京・横浜クラスの大都市の直下型地震の経験は世界広しといえども、どこにもありません。ロサンゼルス地震は、マグニチュード6.7、死者61名で参考にはなりません。
消防設備なども最近では防火水槽などが整備され、建物の不燃化と相まって、テレビが煽り立てているような火炎流や大規模火災の発生リスクは少ないでしょう。
しかし、大地震が起こったとき、新旧入り乱れた建物が混在し、未だに狭い道が入り組んでいる東京や横浜の都市部の弱さは消防設備の脆弱さではありません。
古い建物が倒壊して路地を塞ぎ、救急車や消火活動の妨げとなる活動障壁が至るところで出来、その結果孤立地帯が生まれるという、面ではなく細かな孤立点が点在する今まで全く違った被害が数多く発生するものと考えられます。
さらに高層ビルや深深度に巡らされた膨大なインフラ網を考えれば、もし、大地震がおこれば、私たちの想像を超えた予想外の被害が広がっているのかもしれません。
ポジさん、自宅を売却しようとイメージを落とさないよう必死なんですね。
環境省、境省、1kgあたり10万ベクレル以下の焼却灰は埋め立てを認める方針を各自治体に通知
2011年8月27日
「山津波」の恐怖後世へ、石碑守る関東大震災の犠牲者遺族ら/相模原
1923年9月1日の関東大震災で、16人の犠牲者を出した「山津波」を今に伝える石碑が、相模原市緑区鳥屋にひっそりと立っている。碑が立つ小高い地は「地震峠」の名を残すが、体験者の多くは鬼籍に入り、地域の記憶からも消えつつある。日本が再び大震災の恐怖を味わったことし、遺族たちは山あいの**を襲った88年前の災禍を風化させないよう思いを新たにしている。
旧津久井町教育委員会がまとめた資料によると、33人の犠牲者が出た津久井郡内で最も被害が大きかったのが、山の斜面が崩れ、9戸が埋まり、16人が死亡した鳥屋村(当時)の馬石地区だった。
14歳だった新井エツさん(102)は午前11時58分の発生時、家族で昼食を囲むところだった。「最初は小さな揺れだったけど止まらない。そのうち大きくなって、揺れる畳の上を転がって外に逃げた」
家から飛び出して近くの繭の作業場の方向を見ると、土煙が立ち込めている。山間地の住民が恐れる「山津波」だった。「水が流れるように山が押し寄せた。木が立ったまま、地面ごと動いてきた」。1人早く食事を済ませていた一番上の姉の中村カネさん=当時(19)=がその作業場にいた。
民家や畑が広がる一帯が一瞬のうちにのみ込まれた。「カネがつぶされた」。隣のおじさんから姉が埋まったことを聞いた。大量の土砂は麓を流れる串川をせき止めるほどだったという。青野原や串川など、近隣の村人が応援に来て、行方不明者の救出と湖のようにたまった水を排出する水路造りに当たった。姉の遺体は見つかるも、16人のうち8人は結局不明のまま。「家族が全滅した家もある」。確かな口ぶりで新井さんが振り返る。
余震の恐怖と食糧不足に悩みながら、屋外での避難生活。今回の震災は人ごとではなかった。生後間もなくだった新井さんの妹、中村波枝さん(88)は「小さいころから姉に山津波の怖さを聞かされた。3月11日のときも思わず家を飛び出して裏山が崩れてこないか見に行った」。記憶はしていなくとも、体に染み付いている。
小山のように堆積し、串川の流れを変えた土砂はいつしか地震峠と呼ばれるようになり、犠牲者の名前を刻んだ石碑が建てられた。しかし、最近では手を合わせる人もめっきり少なくなった。
「放っておけば森になって石碑の存在が忘れられてしまう。今も8人が眠るこの地だけは守りたい」。草木が生い茂り、碑に刻まれた犠牲者の名も判読が難しくなったが、近年は山津波で祖父と兄を亡くした鵜沼清さん(72)が息子とともに、数少ない参拝客のために草刈りや通路の整備を行っている。
新井さんの長女の節子さん(79)は「余震が続く中で、近隣の村の人たちが救出作業に協力してくれたのは、地域の絆が確かだったからこそ。山津波の恐ろしさと、当時の助け合いの精神を忘れないでほしい」と話している。