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武蔵浦和の開発が次々に進んでいます
今後の発展について語りましょう
[スレ作成日時]2011-07-20 18:54:31
武蔵浦和の開発が次々に進んでいます
今後の発展について語りましょう
[スレ作成日時]2011-07-20 18:54:31
https://dokomade.net/
「どこまでこの街?」っていう、それぞれが思う街の範囲を描く面白いサイトがあるよ。
この中に武蔵浦和もあるからみんなが思う武蔵浦和の範囲を描いてみるといいかも。
別所の戸建街の中心は武蔵浦和ではなく中浦和。
別所の戸建エリアは浦和から武蔵浦和の間に広く広がってるので何丁目かでまた違ってくる
いずれにせよ浦和駅か武蔵浦和駅のいずれかが徒歩圏内なのでわざわざ通勤に中浦和駅使う人はあまりいないだろうね
別所7丁目、沼影1丁目、白幡5丁目が武蔵浦和な
武蔵浦和という地名があるわけないので再開発エリアとそれ以外のエリアで線引するべきだ
今度は再開発エリアだけが武蔵浦和?
ますます何言ってるのかわかんないですね
武蔵浦和とは、別所・白幡・沼影の全体を指すようです
https://minamiku.jp/chiku_syokai_musashiurawa.html#:~:text=地区名は、JR武蔵野,で構成されています%E3%80%82
武蔵浦和地区の紹介
地区名は、JR武蔵野線と埼京線が交差する地点の駅名「武蔵浦和駅」から付けられたもので、武蔵浦和周辺の白幡・沼影・別所の3地域の自治会で構成されています。この3地域は、1889年に6つの村が合併して六辻村となったうちの3村です。その後1938年、町制施行で六辻町となり、1942年に浦和市と合併、現在のさいたま市に至っております。
当地区自治会連合会は、白幡地域8、沼影地域5、別所地域7の合計20の自治会で成り立っており、各自治会は、従来からの住宅地や武蔵浦和駅周辺の発展によって、新しい住宅地・商店街・高層住宅などが、それぞれの地域の実情に即して生まれ、市南部の玄関口としての武蔵浦和駅を中心として、発展を続けている地域です。
それぞれの地域名の由来は諸説あります。
「白幡」は、「下野の豪族 藤原秀郷が当地に八幡宮を勧請し、白い旗を掲げて勝利を願った」ことから。
「沼影」は、確証は得られていませんが、「沼の北側を開発して**をなしたことからつけられた」と言われ、既に室町時代の文献に沼影名が記されています。
「別所」は、全国で620数か所に別所と言う地名がありますが、そのうち半数以上が「大和朝廷により行われた蝦夷征伐の際の俘虜の配置移封地:別所」から付けられたと言われており、また「本村の新田や枝郷とされたところ」と言う説や「武蔵武士団の岡部六弥太が唱えた」と言う説などがあります。
武蔵浦和というと一気に外様感が出るんだよね
個人的には別所の高台は武蔵浦和ではなく浦和のイメージかな。
別所の高台は、南区ができ武蔵浦和という地名ができるまでは浦和市の中核を成す住宅エリアだったので、確かにどちらか一方のみというよりは武蔵浦和、浦和両方に属してる感が強いですね
>>3124 口コミ知りたいさん
武蔵浦和のマンションか戸建買った人は勝ち組
浦和全体でこれまでも順調に上がり続けてるが、特に武蔵浦和については今後の大規模再開発でさらなる上昇が約束されている
別所については大宮大地の上が浦和で、坂を下るとあえて買いたいエリアからは外れる、が昔から浦和に住んでる人の感覚
この定義に従うとすると別所1~4丁目が浦和、5~7丁目が新しい街(武蔵浦和)に属することになる
ただし、志木街道の南側かつ中山道の西側(別所2~3丁目)は武蔵浦和駅徒歩5~15分圏内になるため武蔵浦和にも属するというのが私個人の感覚ですかね
両方に属しているとか意味不明なこと言い始めたw
別所は浦和。
武蔵浦和みたいなエセ浦和ではない。